おかゆなれきし

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【歴史好きが超絶分かりやすく教える】駅伝の歴史を電車に例えて解説!

こんにちは。しょう(@shos_history)です。

 

正月も終わっている圧倒的に時期外れのタイミングでこの駅伝の記事です。

 

正月記事はこちらにもあるのでぜひ!

shoooy.hatenablog.com

 

2019年の今年は東海大学が初優勝をしましたね。

 

そんな毎年何かしらドラマが生まれる駅伝ですが、その歴史は古代の飛鳥時代まで遡るというのはみなさん知っていましたか?

 

今回は駅伝の歴史について噛み砕いたいつもの感じで話していきます!

 

駅伝の歴史は飛鳥時代から!

 

駅伝という名前にクエスチョンマークが出た人!

 

クエスチョンマークが出て当然です。

 

駅?どこに駅あるの?

 

とかなるはずです。

 

それもそのはずで、駅伝という競技は実際に存在していた「駅伝」という制度からきた名前です。

 

駅伝制度は人や物資を馬で運ぶ飛鳥時代に始まった交通制度のことです。

 

駅伝制度は大きく二つに分かれていて駅制と伝制です。

つまり駅制+伝制=駅伝制ということです。

 

駅制は中央(このころの政治の中心は奈良県)と地方を結ぶ交通制度です。

 

 

f:id:shoooy:20190110144207j:plain駅家(次の行から駅と表現します)は人と馬を配置し、利用する人のための宿と食事も提供していた今でいう東京駅とかの駅とホテルの合体施設がありました。

 

その駅には駅のトップの駅長がいて、駅子えきしという車掌的な人がいます。

 

駅子は電車的な役割を持った駅馬えきばという馬の世話をしているのですが、駅使えきしという利用客(使者)がやってきたら、その馬と一緒に利用客を次の駅まで案内して進みます。

 

まさに今の駅と同じや…

 

今の駅と違うのは次の駅に着いたら車掌(駅子)も電車(駅馬)も変えるところです。

 

タスキを渡し交代していく駅伝っぽさが既に出てる!

 

利用客と簡単に言ってますが、政府から許可が降りないと利用すらできません。

 

許可制の電車かよw

 

しかも切符のような許可証明するアイテムがありました。

 

それが駅鈴えきれいという名の「鈴」です。

 

その証明書を確認して初めて利用できるわけです。

 

利用客がもし超緊急の任務を持っている場合はどうするの?

 

そりゃあもちろん特急電車に乗るしかありません!

 

はぁ?

 

その特急電車が乗れる駅と利用客のことを飛駅ひえきといい、普通より倍速で駆け抜けました。

 

この超緊急の時は利用する人は乗馬が巧みで体力があったものが任命されていたようです。

 

別に緊急じゃないときに使われた交通制度が伝馬てんま制度略して伝制でした。

 

さっきの駅制と違うのは許可が降りたぞ!という証明書が鈴ではなく紙であるということです。

 

あとはだいたい同じです。

 

緊急の時は駅制度を、緊急じゃないときは伝馬制度を利用していたのでした。

 

駅伝のモデルになった歴史は江戸時代の飛脚ひきゃく

 

最終的に駅伝制はなくなっていきますが、戦国時代や江戸時代になって伝馬制度が復活していきます。

 

それは、情報が必要不可欠だからです。

 

江戸時代にはしっかりと制度化がされました。

 

今はスマホを使えば情報は一瞬で手に入るし、荷物は宅急便で送れば済む時代です。

 

しかし江戸時代は人力で手紙などの荷物や情報を遠い地方に届けていました。

 

その時に活躍したのが飛脚というものです。

彼ら飛脚たちは自分の足で遠くの町まで走って荷物や情報を届けていました。

 

もちろん一人じゃきついですよね?

 

そこでいわゆる宿場というお休みエリアに着いたら別の人に交代して目的地に進んだのです。

 

まさに今の駅伝のモデルですね!

 

駅伝の歴史はめちゃくちゃ古い!

 

駅伝の名前自体が飛鳥時代という聖徳太子の頃の話だし、モデルは江戸時代の宅配屋さんだし、駅伝の歴史はめちゃくちゃ古いです。

 

今や正月の風物詩となっている「駅伝」。

 

その陰には多くの歴史の積み重ねがあったのでした。

 

駅伝の歴史を知ってから駅伝を見るとまた違って見えるかもしれませんよ。

 

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