江戸時代に流行していたインフルエンザに付けられた名前が面白い!
こんにちは。しょう(@shos_history)です。
インフルエンザがついに流行し出しましたね。
ニュースでちらっと見ただけなので本当かは知らんけど。
僕といえばインフルエンザ、インフルエンザといえば僕というくらいには僕とインフルエンザは仲良しです。
というのも、2年前までは毎年のようにインフルエンザにかかっていましたし、1年でA型もB型もどっちもかかる皆勤賞を受賞した経歴の持ち主でもあります。
かかりすぎでしょ…
そんなインフルエンザですが、江戸時代とか昔はどうだったんだろう…って気になりますよね?
実は江戸時代は相当インフルエンザが流行していたようです。
でも江戸時代はまだインフルエンザという名前が伝わってなかったので、色んな名前が付けられていました!
今回はそんな江戸時代に流行していたインフルエンザの名前について話していきます。
江戸時代のインフルエンザ!
江戸時代にはインフルエンザという名前が伝わっていなかったので、代わりに当時を象徴するような名前が付けられていました。
ちなみに日本に「インフルエンザ」という名前が伝わるのは江戸時代の幕末で流行性感冒と訳されました。
使われるようになるのは明治時代と言われています。
ではどんな名前のインフルエンザがあったのか歴史と一緒に見てみましょう!
江戸時代に流行したインフルエンザ「お七風邪」
このインフルエンザが流行したのは江戸時代初期の1683年以降です。
このインフルエンザが流行した時に象徴的だったのは「お七」という人物です。
実は1683年に天和の大火という大火事が江戸で起きました。
江戸時代といえば火事の時代というくらいに火事が起こるのですが、なぜ起こるのかについてはこちらの記事をチェックです。
その火事の際にお七の家が焼けてしまい、お寺に避難しました。
そのお寺で運命の出会いをするんです。
なんだこのラブストーリーで一本書けそうな展開は…
その後、家が直ったので戻るんですが、お七はどうしてもお寺で出会った男が忘れられない!
そこでやべぇことを考えます。
「もう一回家が燃えれば会えるかも…」
想像以上にやべぇ…
そしてガチで家を(もちろん自分の家)燃やそうとするんですが、すぐに消し止められて、お七は放火の罪で捕らえられ火あぶりの刑に処されます。
会いたいがために火をつけたラブストーリーでした。
会いたい気持ち分からなくはないけど、普通に会いに行けばよくね?
お坊さんだからそういうのダメとかあったのかも。
そしてお七が亡くなった後にインフルエンザが流行るんです。
だから「お七風邪」と呼ばれました。
あ、そうだった。今回はあくまでもインフルエンザの話だった。
江戸時代に流行したインフルエンザ「谷風」
このインフルエンザが流行したのは江戸時代中期の1795年です。
このインフルエンザが流行した時に象徴的だったのは「谷風梶之助」という人物です。
名前が既に風邪引きそうだな…
谷風梶之助は当時の大相撲力士の一人で「仙台の谷風」と言われていました。
かっこええー!
そしてこの人物は第4代横綱です。(初代ともいわれています)
あまりに強すぎて63連勝という記録を持っていました。
この記録は1938年に双葉山定次が66連勝するまで最多連勝記録でした。
あまりに強い谷風はドヤ顔でこんなことを言いました。
「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れているところを見たいなら、わしが風邪にかかった時にこい!」
そして1795年に流行していたインフルエンザにかかって亡くなりました。
なにこの綺麗なフラグ回収w
綺麗すぎますよね。そりゃあ「谷風」なんて名前付きますよ。
江戸時代に流行していたインフルエンザの名前は面白い!
今回はインパクトの強い歴史と人物が関係する2つのインフルエンザの名前だけ紹介しましたが、「お駒風」や「お染風」などまだまだあります。
インフルエンザという名前が伝わってなかったからこういう風に色んなレパートリーの名前がつけられていました。
名前がつけられるほど、当時の人々の心に残るくらい象徴的なことだったということですね。
この平成時代にインフルエンザという名前が伝わってなかったら、どんな名前になってたんでしょうね。
「ツイッター風」とか「休みたい風」とかありそう!
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!