見えるものや情報が全て正しいとは限らないことを歴史から解説!
こんにちは。しょう(@shos_history)です。
昔と違ってインターネットが普及し情報が多くなって便利になった反面、情報の取捨選択が大事になってきています。
「◯◯が言ってるから正しい!」とか情報を鵜呑みにしていては間違った方向に進んでしまう可能性もあります。
絶対は存在しないし、見えるものが全て正しいなんてありえないのです。
そんな当たり前のようで難しい話を今回は歴史を例にして話していきます!
見えるものや情報が全て正しいとは限らない例「城」
僕らが歴史名所などの観光で普段見ている城にも学べることがあります。
織田信長の城として有名な
織田信長が京都の本能寺で部下の一人明智光秀にやられた後に燃えて無くなってしまいます。
大型の天守閣がついた初の城だったそうで、それはすごいインパクトがあったことでしょう。
信長の部下の一人だった豊臣秀吉は信長の敵討ちを達成したものの、信長の顔とも言える安土城を再建せず、近くに
八幡山城には安土城の建物や城下町を移したのです。
それがちょうど豊臣秀吉がトップ感出てくる頃です。
織田信長のイメージを消そうとしたんでしょうね。
もう1つ驚くべきニュースがあり、徳川家康の城として有名な静岡県にある駿府城。
【駿府城公園のホームページ】
その城の内側の土地から秀吉が築かせた城の痕跡が多く見つかったそうです。
つまり家康は秀吉の城の上に自分の城に立て替えたことになります。
これもイメージの問題です。
昔の権力者は城を壊したり作ったりして自分のイメージを作り上げようとしていたんです。
まさに歴史の本質そのものです。
歴史の本質の話は大河ドラマの視点とアニメの視点でそれぞれ解説しているのでぜひ見てみてください!
見えるものや情報が全て正しいとは限らない例「絵」
日本の歴史で好きな時代といえば戦国時代ともう1つが江戸時代の終わり「幕末」です。
その中の大きな出来事の1つである大政奉還の絵を知っていますか?
出典: Wikipediaより引用
これです!
大政奉還について気になった方はこちらをチェックです!
奥に一人いるのが江戸幕府の最後の将軍
手前の頭を下げているのは家臣たち。
「260年くらいやらせてもらってた政治の権利を天皇に返しますよ!」ということを言っている場面ですが、雰囲気がすごい伝わってくる絵ですよね。
教科書には必ず載っている絵です。
し・か・し!
実は奥に一人いる将軍は実はこの時姿を現していなかったのです!
この時は将軍の代わりの人が「大政奉還するよ!」という内容が書かれた紙をみんなに見せたくらいでした。
将軍はこの家臣たちが集まるイベントが終わった後に、残った数名の家臣の前に現れたそうです。
つまりこの絵は現代風にいうと盛られていたのでした!
見えるものや情報が全て正しいとは限らないことを教えてくれる歴史!
今回は城と絵を参考に見てきました。
見えるものや情報が全て正しいとは限らないことが分かったかと思います。
結局何が言いたいかというと、
情報を鵜呑みにせず、色んな情報を見たり聞いたり城!
ということです!
城だけに。
寒い…
正しさが必要ない場合は自分が正しいと思う方へ進みましょう。
決して「◯◯が言ってるから」とかで判断しないように。
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