厄年はただの迷信だということを歴史から考えて証明する!
こんにちは。絶賛厄年中のしょう(@shos_history)です。
厄年ってなんか怖いですよね。
確かに怖い。。
まぁ僕はそういう非科学的なことは信じてないんですけどね。
とか言いつつ、厄払い行ってるよな?
い、一応ね!念のためね!
厄年は結局気持ちの問題なんですが、それでも信じる人が多いので今回は、、
厄年を歴史から掘り下げて「厄年がただの迷信」だということを証明してみせます!
歴史から考える厄年と迷信!「厄年の歴史は平安時代から」
実は、平安時代の頃には既に貴族の間で厄年のようなものがあったようです。
おそらく奈良時代以降の中国との交流で厄年かそれに関するものがやってきたのでしょう。
その元祖厄年は自分の干支の年を厄年としていて、12年に1度やってくる自分の干支の年が今までの運気をリセットする年だと考えられていたそうです。
当時の有名な『源氏物語』にも厄年的なことを匂わせる文が出てきています。
プレイボーイとして名高い光源氏が妻の紫の上という美女に「37歳になったんだから、厄払いして、いつも以上に慎重にね!」と言っている場面があります。
一説にはいろんなゲームで陰陽師の強キャラポジションを確立している安倍晴明が厄年の考え方を広めたとも言われています。
とにもかくにも平安時代が厄年の歴史のターニングポイントなのは間違いないです!
この時代は悪霊とかそういうのを信じる時代だから厄とか発達するのもわかる…
歴史から考える厄年と迷信!「江戸時代には確立する厄年」
厄年的なものが今のような厄年の考え方になったのは江戸時代の中頃の元禄期でした。
元禄期というと超人的なスピードで歩き回った能力者松尾芭蕉。
忠臣蔵のモデルになった赤穂事件などもこの時期にあたります。
男性なら25歳、42歳、61歳
女性なら19歳、33歳、37歳
この厄年の年齢。よく見たらなんか若い年齢層多くないですか?
確かに!
これは完全に僕のもてる全ての歴史知識から導かれた勘ですが、おそらく、昔は「人間50年」というくらいに寿命が短かったからだと思われます。
短かった寿命の範囲内で厄年を決めるとなると、この若い年齢層になるのは納得ではないでしょうか。
今なら短く感じる50年でも、昔はかなりの寿命です!
70代とか80代とかのおじいちゃん世代の厄年がないのもそれなら納得かも!
それに、33歳で「散々」、42歳で「死に」という語呂でもあったようなので、語呂とかシャレが好きな江戸時代の人たちらしいですよね。
シャレといえばインフルエンザも面白い名前がつけられていたので合わせてどうぞ!
でも、厄年になっている年齢は男性も女性も身体的環境的にも変化のある歳だと言われており、厄年の年齢があながち間違いではないような気もします。
子育てであったり、仕事で中核を担う頃だったり!
言われてみればその年齢が重なる部分もあるのか。
歴史から考えて厄年はほぼ迷信!
今話した厄年の歴史を大雑把にまとめると、、
・平安時代には厄年的な考えがあって、それが江戸時代を通して今の厄年になった!
・江戸時代のころに確立した厄年なので、そのころの寿命が参考になっていて年齢層が若い!
厄年が一応、身体的にも環境的にも変化のある年頃であることから間違いと断定できるものではないものの、、
まぁほぼ迷信ですね!
まぁだいたい最初から察してた。
信じる必要は全くないですが、どうしてもという方は厄払いでもしましょう。
信じるか信じないかはあなた次第です!
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