【東海道五十三次を歩く!7日目】時の止まってる世界と電気がある世界
こんにちは。参勤系男子のしょう(@shos_history)です。
3月18日からついにスタートした東海道の旅略して一人参勤交代。
~これは現代文明(飛行機や新幹線など)があるにもかかわらず、それらを使わず東海道五十三次を自分の足で歩くというよくわからない企画の記録である~
今回は7日目静岡県の清水区江尻からのスタートです。
前回の6日目の記事を読んでいない方はこちらをチェックです!
東海道五十三次を歩く!「清水次郎長 がいた町」
今日はここからスタートです。
カッパにも付いてるんですね。
この橋は
しかし!
完成披露試写会で、最初に橋を渡れることに決まった老夫婦が渡ろうとしたら、突然カッパの子供が渡っていったと言います。
それから稚児橋と呼ぶようになりました。
みんなが見ていて言い伝えがあり、橋の名前も変えられてるので本当にカッパのようなものがいたのかもしれませんね。
まさにロマン溢れるミステリーですね。
そしてここ清水といえば清水次郎長が思い浮かぶ人がいるのではないでしょうか。
清水次郎長といえば弱きを助け強きをくじく、いわゆる侠客(良いヤクザみたいなやつ)として有名です。
子分をたくさん従えて次郎長一家(清水一家)というものを持つくらいにその道では規模の大きなすごい人でした。
次郎長の子分の一人をだまし討ちした
悪いのは都鳥だけど、それにしても弔う人が全然いないことに憐れんだ人が建立したそうです。
亡くなったものには善悪なんて関係ないということですね。
ちょうど清水次郎長にもこんなエピソードがあります。
時は幕末の戊辰戦争。
西郷隆盛たち新政府が優勢の頃。
そのまま船も損傷しているので修理のために清水湊に寄りました。
その時に幕府軍は新政府軍に囲まれ降伏したのですが、乗り込んできて次々と斬り殺されました。
その死体は海に遺棄され、
「触ったら賊軍な?」
と言われます。
※
天皇とか朝廷に敵対する軍のこと。
逆に天皇や朝廷側の軍を官軍という。
そのひどい状態を見ていた次郎長は「死んだらみんな仏。仏に官軍も賊軍もない!」といい、遺体を回収して手厚く葬りました。
このエピソードを聞いた山岡鉄舟とのちに親交が深まっていきます。
※
江戸時代の幕府の人で幕末の奇跡である江戸無血開城を実現させた立役者の一人。
西郷隆盛と会談する時には、一人で敵陣に乗り込んできては主君(徳川慶喜)の命を保証するよう交渉をし、最後まで忠義を貫いた。
めっちゃ暖かい話ですよね。
これは親分と言いたくなる…
清水次郎長はその後、明治時代には新田開発や開墾などに取り組み、この地域の発展に貢献しました。
僕の知ってるヤクザじゃない…
ただただいい人…
東海道五十三次を歩く!「草薙ってかっこいい」
次郎長の町を満喫していましたが、急に戦国時代がやってきます。
上原子安地蔵堂。
ここで武田家(当時めっちゃ強かった家で武田信玄は有名)の家臣だった
え?裏切ったってこと?
そうです。この裏切りが武田家の滅亡を早めました。
ちょっとナイーブになりながら歩いていると、草薙という文字を多く見るようになりました。
ついにきました。みんな大好き「草薙」です!
※写真は草薙神社の鳥居。
ゲームとかアニメでも草薙剣(くさなぎのつるぎ)としてよく見かける言葉ですよね。
大昔に敵に襲われ草原に火を放たれたヤマトタケルは、草を薙ぎ払って難を逃れました。
その薙ぎ払った時に使った剣を草薙剣と呼ぶようになったというのが草薙の由来のうちの1つの説です。
東海道五十三次を歩く!「家康がほぼいた場所の名前は駿府」
剣じゃないやつで草を薙ぎ払っていたらどうなってたんだろう…というしょーもない妄想をしながら歩いていたら、ついにやってきました。
府中宿!
いわゆる家康の町"駿府"です。
家康が小さい頃にも晩年にも住んでいた、まさにゆかりの地です。
家康がどこにいるか分からない時はとりあえずここに来ればほぼいるというレベルです。
旧東海道からだと周りが建物ばかりなので駿府城のかけらも見えませんでした。
昔は見えたであろう場所からもう見えないの悲しい…
駿府城で家康は晩年に政治を行なっていた「家康のお膝元」であり、静岡県の中でも最大規模の宿場町として栄えました。
今回偶然にもお祭りらしきものがやっていた時に駿府を通り、人が集まって盛り上がってる様子を見ていたら、
歴史が引き継がれているなぁと感動しました。
静岡の歴史観光が気になったらこちらの記事をチェックです!
ここで本日は終了!でもよかったんですが、まだ15時だったのでもう少し歩くことにしました。
東海道五十三次を歩く!「丸子 の丁子屋 と紅茶」
丸子宿に到着。
ここの一番の見所はこの丁子屋というお店。
創業は1596年。
豊臣秀吉が健在していた時代。
当時はお茶屋として開業し、そのうちとろろ汁が看板メニューになり、旅人たちに親しまれました。
出典:Wikipedia
歌川広重の東海道五十三次では丸子宿として描かれた風景に丁子屋の姿が見えます。
気づきました?
実は400年以上も変わらず同じ場所にあるんです!
これすごくないですか?
東海道五十三次に描かれてる場所が今も同じ姿で残ってて、そこに行くことができるんです!
ここだけ時が止まってるかのように見えました。
ここでとろろ汁をいただきたいところでしたが時間がないので今度観光で来た時に行くことを誓い、先を急ぎます。
なぜ時間がないかというと、
これから峠が待っているからです!
峠が待ってるし、峠を越えないと寝床すらないからです!
ただ、急いでいても目に留まるものがありました。
『日本の紅茶発祥の地 丸子紅茶』と書かれた看板と味のある水車です。
時は明治時代。
元幕府の人だった多田元吉という人物がこの静岡県の丸子に茶園を開きます。
インドや中国へ行き紅茶の製造技術を学び、持って帰ってきた紅茶の木を植えたことから紅茶の生産が始まりました。
まさに丸子こそ国産紅茶始まりの土地なのです!
でも国産紅茶は今ほとんど見かけませんよね?
いわゆる大人の事情ってやつです。
便利な言葉「オトナノジジョウ」出た!
まぁリプトン最強ってことですわw
東海道五十三次を歩く!「電気がある現代の素晴らしさ」
宇津ノ谷峠という難所の1つが出てきました。
もちろん軽く蹴散らします。(暗くなりだして若干ビビってました。)
完全に夜になりました。
持ってる地図が機能してないくらい電気がないです!
かろうじて車が通るときのライトとたまにある街灯、そして我らが命のスマホでなんとか地図を見れました。
今でも電気がなくて結構不便なのに、江戸時代なんて全く電気がないんですよね。
常夜燈(江戸時代の街灯)なんてどこでもあるわけないですし。
そう考えると、江戸時代の旅ってマジで命がけで危険なんだなぁと実感しました。
そして、今や当たり前の存在「電気」って素晴らしいなと。
色々と思った1日でした。
今日は約33kmほど歩き、静岡県の藤枝市まで来ました!
【8日目の記事】
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