【東海道五十三次を歩く!8日目】大井川の男たちと小夜の中山の夜泣き石
こんにちは。参勤系男子のしょう(@shos_history)です。
3月18日からついにスタートした東海道の旅略して一人参勤交代。
~これは現代文明(飛行機や新幹線など)があるにもかかわらず、それらを使わず東海道五十三次を自分の足で歩くというよくわからない企画の記録である~
今回は8日目静岡県の藤枝市からのスタートです。
前回の7日目の記事を読んでいない方はこちらをチェックです!
東海道五十三次を歩く!「昔の面影が残っている場所と残っていない場所」
今日はここからスタートです。
ただの道路じゃん!
と思った方。
実はここには昔、問屋場があったのです!
※問屋場とは…
江戸時代の宿場に置かれていた役所的なもの。
ここまで大名や幕府のお偉いさんの荷物を運んできた人や馬を、ここでバトンタッチさせて新しい人と馬に変えていた。
いわゆる人馬の手配をここでしていた人材派遣みたいなやつ。
駅伝でもタスキを次のやつに渡してバトンタッチしますよね?
友達同士で車でドライブする時に疲れたから交代することありますよね?
まさにそれです!
問屋場はこの業務内容からもわかる通り、割と重要な施設でした。
出典:Wikipedia
東海道五十三次にもこの藤枝宿の問屋場で人馬を入れ替えてるシーンが描かれています。
しかし、今は当時の問屋場の面影はありません。
あるのはこの問屋場跡と書かれたタイルが一枚。
寂しいな…
こういう昔の面影が残っていない場所は多いです。
逆に昔の面影が残っている場所もあります。
それがここの松並木!
昔は東海道沿いにびっしりと松が植えられていたそうです。
今は道の片側だけしか松が残っていませんが、それでも当時の面影が感じられる場所になってます。
昔の面影が残ってる場所もしっかりとあるのを間近で見ると感動しますね。
東海道五十三次を歩く!「大井川の川越は屈強な男の出番」
しばらく歩いていると島田宿に着きました。
ところどころに番宿という番号のついた家が並んでいて、
中は当時の再現がされています。
この島田宿の西には大井川という規模の大きな川があり、そこを通る人を運ぶための
仲間の宿という年寄り川越人足たちの溜まり場もありました。
川越人足の運賃は川の水量で変わります。
1文を15円とすると
一番安い股下の水量で48文=720円
一番高い腕の付け根で98文=1470円
普通に高いです。
今なら1470円あれば夜行バスで大阪やら京都やら行けます。
そのレベルの金額がこの川を渡るだけでかかるのです!
難所の川を人力で渡り命もかかってると考えたら妥当なのかもしれませんね。
でも中にはわざと水位の高いところで運んでぼったくろうとする悪い人もいたそうです。
ちなみに水深が140cmほどになると川止めになりここ島田宿か大井川を挟んだ隣の金谷宿で足止めとなります。
また、川の中を人や荷物を持って運ぶので、もちろん屈強な男でないと務まりません。
そんな屈強な男たちが職人技のように川を渡る様子を目の当たりにしたドイツ人医師シーボルト(日本地図を持ち出そうとしたのがバレた?シーボルト事件の人)は、、
「半人半魚の男たちや…」
と評しました。
川を渡る人は先ほどの金額を払い、川札という江戸時代の切符を買って人足に渡します。
そしてここが噂の大井川。
季節のためか、歩いて渡れそうな勢いで水がないです。
幅が広いので橋はかなりの長さです。
江戸時代だったらここで1500円近く取られること考えたら、「平成でよかった」と思うばかりです。
【川越人足の番宿へのアクセス】
東海道五十三次を歩く!「石畳再来と小夜の中山の夜泣き石」
大井川を渡り、金谷宿、日坂宿と歩き続けていると、、、
この世で一番見たくないものが視界に入りました。
地獄への標識です。
石畳の再再々再来です。
再の数が多い…
なぜ地獄かはこちらの記事をチェックです!
まぁ進まないと京都につかないので地獄の標識通り進むんですけどね。
はい。今日もよろしくお願いします(棒読み&白目)
ここは箱根と鈴鹿と並んで東海道の三代難所の1つと言われる「小夜の中山」という峠です。
もちろん箱根ほどの難所ではありませんが、急な坂は多いです。
歩いていると夜泣き石跡という石碑がありました。
昔、古夜の中山にある寺に安産祈願するためにやってきた妊婦が途中で山賊に襲われて殺されてしまいました。
お腹の切り口から生まれた子供を助けるためか母の魂は近くの石に移って毎晩泣いたそうです。
生まれた子供はその夜泣き石のおかげで見つけてもらえてすくすく育ち、最終的に敵討ちに成功しました。
その子供は乳の代わりに飴で育てられたそうです。
今でも「子育て飴」という名前で古夜の中山の名物として親しまれています。
ちなみに現在夜泣き石は国道1号線の古夜の中山トンネルの脇に置かれています。
気になる方はぜひ行って実際に見てみてください!
【夜泣き石へのアクセス】
東海道五十三次を歩く!「掛川城と山内一豊」
山賊に襲われることなく無事に峠を越えられ、ついに掛川宿にやってきました。
掛川宿といえば掛川城ですね!
戦国時代は
旧東海道を歩いているからこそ知れるものも多いのですが、この掛川でも1つありました。
それが七曲りです!
歩いていて気付いたんですが、普通に直線でいいのに急にジグザグな道になったんです。
地図を見てみたらこの通りです。
めっちゃジグザグ…
城のある町にはよく見る光景で、簡単に敵を侵入させないためにわざとジグザグさせた道にしているのです。
確かにこれなら簡単に侵入できないし、時間も稼げるな…
旧東海道を歩いていて良かったと思えた瞬間でした。
山内一豊の像もありました。
これはあの有名なエピソードのワンシーンですね。
ある時山内一豊は「かっこいいやつ、名馬とか欲しいな…」と指をくわえていました。
その夫の姿をみていた妻の千代は密かに蓄えていた黄金(いわゆるへそくり)を出して、名馬を買い夫の願いを叶えました。
馬揃え(馬の見せ合い)で買った名馬を出したところ信長に褒められて出世していきます。
なんて暖かいエピソードなんでしょうね。
※山内一豊とは…
戦国武将。
豊臣秀吉の部下になって掛川城主に。
関ヶ原の戦いでは徳川家康の味方について、土佐(今の高知)20万石という大出世を果たし、土佐藩の祖となる。
土佐藩といえば幕末に坂本龍馬を含め歴史を動かしていくところ。
東海道五十三次を歩く!「掛川でゆず塩ラーメンを一杯」
今日はここ掛川で終了。
夕飯を調べていたら「ゆず塩ラーメン」という文字を見つけて気になったので食べてみました。
こちらがゆず塩ラーメンが食べられる「めんてい」というラーメン屋さん。
なんか車の運転ができなくなりそうな名前…
さっそく、ゆず塩ラーメンを注文。
匂いがゆずゆずしてていい感じ。
味は意外にもゆずの主張が激しくなく、ほんのりゆずってるだけなので食べやすいです。
ゆずゆずとかゆずってるってなんだ…
ラーメンの中にゆずが薄くスライスされたものが入ってました。
塩ラーメンをあまり食べない僕ですが、これはまた食べたいと思いましたね。
今日は掛川まで約31km歩きました。
※一度記録を中断してしまい、画像が2つになってます。
【9日目の記事】
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