【東海道五十三次を歩く!10日目】浜名湖は昔はちゃんとした湖だった!
こんにちは。参勤系男子のしょう(@shos_history)です。
3月18日からついにスタートした東海道の旅略して一人参勤交代。
~これは現代文明(飛行機や新幹線など)があるにもかかわらず、それらを使わず東海道五十三次を自分の足で歩くというよくわからない企画の記録である~
今回は10日目静岡県の浜松市からのスタートです。
前回の9日目の記事を読んでいない方はこちらをチェックです!
東海道五十三次を歩く!「浜松城は見えないけど松並木は見れた」
今日のスタートはここから。
出典:Wikipedia
昔はここから浜松城が見えたり松の木があったりしたのですが、今は何にも見えません。
唯一の面影は奥の道路沿いにある高札(木の掲示板的なやつ)ですかね。
こちらは
立場とは江戸時代に隣の宿場(サービスエリア)が遠い場合に途中の道に置かれた休憩施設です。
マラソン大会で途中で水とか飲めるあの感じです。
黙々と歩いていると見えてきたのは松並木。
江戸時代に1400本近くが植えられていた通りで、今は300本ほどが残っています。
昔ほどの松は残っていませんが、そこに確かに当時の面影を感じることはできました。
東海道五十三次を歩く!「波の音は浪小僧の仕業」
この太鼓を叩いてる男の子知ってますか?
太鼓の達人?
いいえ違います。
知るか。
この付近の伝説に登場する人です。人かどうかは分かりません。
昔々のある日のお話。
漁師たちは
「なんじゃこれ!」
と気味悪がって、小僧を殺そうとします。
すると小僧は「ちょ待てよ。俺は海の底に住む浪小僧!命助けてくれたら、恩返しとして海が荒れたり、風が強くなったりする時に海の底で太鼓を叩いて知らせるぜ!」と言います。
それ木村t…
それを聞いた漁師たちが小僧を海に戻しました。
それ以来、天気が変わる時には波の音がするようになったと言います。
こいつあれだ。太鼓の達人やらせたら絶対パーフェクトでるやつだ。
この話は8日目に登場した小夜の中山の夜泣き石と同様に遠州七不思議と呼ばれています。
急に太鼓の達人やりたくなったので今度やってきます。
東海道五十三次を歩く!「浜名湖は昔はちゃんとした湖だった!」
そして急に海が見えてきました。
ここが有名な浜名湖です!
そして浜名湖に面しているこの空間が江戸時代に
さっきのこの写真にも写ってるように今でも船着場になってるのが感慨深いです。
さて、ここ浜名湖は名前に湖ついてるくせに湖っぽくないことに気付きましたか?
見ての通り完全に見た目が海です!
でも実は昔はイメージ通りの湖だったんですよ。
大昔は浜名湖は淡水湖といって塩分の少なめの湖でした。
時は1498年の戦国時代初期。
南海トラフ大地震が起こり、浜名湖と遠州灘(要は海)を区切っていた砂の堤防が切れてくっついてしまいました。
それから浜名湖は汽水湖という塩分が少ない淡水湖なんだけど塩分が流入しちゃってる湖になりました。
ちなみに琵琶湖は昔の浜名湖と同じ淡水湖です。
昔は都が奈良とかに置かれていたので、
都からみて近い淡水湖の琵琶湖があるところを近い淡水の海=
都からみて遠い淡水湖の浜名湖があるところを遠い淡水の海=
と言ったのが近江と遠江の由来です。
途中まで理科の授業かと思ってた。
もちろん最後は歴史に持っていきます!
東海道五十三次を歩く!「新居宿は江戸時代の歴史がいっぱい」
浜名湖を渡りきると見えてくるのは新居宿です。
関所が復元されてました!
それもめっちゃ立派!
この関所も箱根の関所同様に厳しい取り締まりが行われていた関所です。
江戸時代に僕が通ろうとすれば間違いなく通れなかったでしょう。
ニートがなにしてる?って言われそう…
その前に大名行列を横切って殺される…
関所の先には高札が復元されてました。
しかも内容もしっかりと当時のままっぽいです。
料金表とか
火事が起きた場合はどうするか
とか書いてありました。
火事の時は「刀は鞘に入れておけ」はワロタw
江戸時代ならではの注意ですね。
向かいには紀伊国屋がありました。
本屋かな?
どうやら紀伊藩(御三家の1つですごい家)御用達の宿泊施設のようです。
こちらは
江戸時代は旅行者のために馬とか提供するレンタカー的なものがありました。
そのレンタカー用の馬を置いていた場所が寄馬です。
要はレンタカー屋さんの駐車場ですね。
新居宿にはこんな感じで江戸時代の歴史がいっぱいでした!
東海道五十三次を歩く!「土ばかりの景色を見させられるはキツイ」
出典:Wikipedia
ここ潮見坂は東海道五十三次でも描かれている場所で今も変わらない景色を見ることができます。
本当だ!全然変わらない!
絶景を見た後に見る景色はこちらです。
はい。一面全てが土です。
清々しいほどの黄土色ですが、景色の変わらない旅ほどキツいものはありません。
このあたりは昔からこんな感じだったようです。
歴史が変わらないのはいいことだけど、これは少しは変わっていい…
土景色地獄の間にいつの間にか愛知県に入っていたようです。
二川宿に入る前にこの橋を渡ります。
筋違橋です。
名前的にこの橋で筋違いなことでもあったのでしょう。
さすがに適当すぎない?
二川宿は昔の街並みを残している宿場でした。
そしてこのあたりで暗くなってきました。
いい夕焼けですね。
思わず撮ってしまいました。
東海道五十三次を歩く!「愛知県といえば味噌カツ」
夕飯何にしようかと調べていると「味噌カツ」というパワーワードを見つけたので、即座に向かいました。
味噌カツとは豚カツに味噌ダレがかかった料理です。
愛知県というよりは名古屋名物となっている味噌カツですが、歴史は意外と新しいです。
諸説ありますが、戦後のある屋台で客がつまんでいた串カツをどて鍋(もつとか牛すじを味噌で煮込むやつ)に入れて食べたら美味しかったのが始まりという説が有名です。
愛知県は八丁味噌で有名で、その地にいた徳川家康も味噌を好んでいたことからもわかる通り、愛知と味噌の歴史は深いのです。
岡崎市には八丁味噌始まりのお店もありますよ。
ということで歴史を知ったところで味噌カツ定食を食べてみました。
うまいです!
味噌の味が濃いのでご飯が無限に進みます。
もはやマジックです!
今日は約38km歩き、ここ豊橋で終了です。
【11日目の記事】
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