【歴史好きが超絶分かりやすく教える!】面白い富士山登山の歴史!
富士山登山中からこんにちは!しょう(@shos_history)です!
だいぶ可愛げのある富士山だな…
こちらの可愛い富士山は歴史を語る公園にあります。
僕の方が大きいせいか、富士山が小さく見えますよ。
いゃ、それより後ろのカメラ目線の人の方が気になるんだが…
※あまりにも急すぎて山頂に登れなかったことをここで報告します。
日本の歴史を振り返ってみても、富士山はその美しい姿を変えることなくそこに存在しています。
つまり今の富士山と同じ富士山を源頼朝や織田信長や徳川家康や坂本龍馬など昔の人たちも見ていたんです。
これって意外とすごくないですか?
歴史が長いので、その分面白い歴史が多くあります。
今回は富士山に関する面白い歴史をおかゆのように噛み砕いていくつか話します!
富士山の歴史の始まり!
何百年も前には富士山(仮)は海の中だったみたいです。
それが地上からひょっこりはんしてきて始まりました。
おはよう富士山です。
その富士山(仮)が噴火を繰り返しているうちに、火山灰やら溶岩が堆積し、今の大きさになっていきました。
だいぶ大雑把に話すと富士山の始まりの歴史はこんな感じです。
大雑把すぎてひょっこりはんしか印象にないんだが…
ちなみに富士山が最後に噴火したのは1704年の宝永大噴火で、「江戸の町は昼間でも暗かった」とか「灰が5~10cm降り積もった」と記録が残っています。
富士山が噴火すると東京まで灰が飛んでくるんですね。怖い怖い。
聖徳太子と富士山登山伝説!
人外なんじゃないか?と言うくらいに数多の伝説を残している男「聖徳太子」が富士山にも伝説を残してました。
聖徳太子の人を疑うレベルの伝説が気になった方はこちらをチェックです!
聖徳太子はある日、諸国から良い馬を集めました。
集まった数百匹の馬の中から四脚が白い馬を見つけた聖徳太子は、
「こいつ神の馬じゃね?」
と言います。
早速飼育させて、聖徳太子は試乗するんです。
そしたらその馬が天高く駆け上がり、富士山を超えて信濃(長野あたり)に行ったのです。
もしやその馬はペガサスでは?
富士山に最初に登山した人は正確には分かってないようですが、もしこの伝説が本当だとしたら記録上は聖徳太子が最初の登山者かもしれませんね。
登山してないんだが…
登山とは何かと言う哲学の話ができそう…
この手の伝説を毎回聞いて思うんですよ。
昔の人ってもう少し上手い嘘つけなかったんですかね?
富士山に登山した最初の女性!
富士山最初の登山者が誰かよく分かってないのになぜか女性の記録はしっかり残ってるんです。
なぜなら昔は女人禁制だったからです。
・山には神がいる的な信仰が昔からあり、山にこもって男は全ての欲を絶ち、修行をしていたから
・浅間大社が祀ってる女性の神コノハナサクヤヒメが怒るから
など諸説あるようです。
女人禁制だった場所に女性が登れば、そりゃあ記録に残るでしょうね。
そして記録上初めて富士山に登った女性の名前は高山たつ。
名前から既に富士山を登る固い決意が表れてますね。
高山たつさんは1832年に男性グループの登山チームに紛れて男装して富士山を登りました。
男装して隠れないと富士山登れない時代があったなんて…
当時女人禁制とは言っても、女性でも2合目までは富士山に登ることができました。
1860年から8合目まで解禁されます。
女性が富士山の頂上まで登ることが許されたのは1872年。
富士山以外にもほとんどの山から女人禁制がなくなりました。
そしたら逆に気になること出てきますよね?
富士山に登りたいけど登れない女性はどうしてたの?と。
実は当時の女性たちは富士山のミニチュア版「富士塚」に登って富士山に擬似的に登った気分を味わっていたそうです。
東京の千駄ヶ谷にある鳩森八幡神社には当時と同じ場所に現存するものとしては最古の富士塚がありますよ!
【鳩森八幡神社へのアクセス】
外国人が富士山登山の歴史を動かした?
富士山登山の歴史を変えた外国人の話をして終わりにします。
幕末になると開国したことによって外国人が日本にたくさんやってくるようになりました。
開国の歴史をおかゆのように解説してるのでぜひ読んでみてください!
もちろん日本の最高峰の美である「富士山」を登りたい人が出てきます。
それがイギリス初代駐日公使のオールコックです。
※オールコックとは…
イギリスの初代駐日公使。
幕末の日本で活躍していた外交官である。
帰国後に幕末の日本の様子を記した本『大君の君』を出版した。
時は幕末で「外国人は排除しろ」と言う声が大きい時代。
日本で観光させることがどれほど危ないか分かっていた幕府は外国人を国内で自由に動くことを制限してました。
ただし、外交官は旅行OKだったんです。
と言うことで
・
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オールコックは外交官なので旅行するんです!
もちろん幕府も「ちょっとタイム!待って!」と言うんですが、強行します。
折れた幕府も念の為と人馬を随行させます。
もはや大名行列です。
多分、旅行気分だったはずのオールコックも「これ違くね?」って思ってたに違いありません。
状況はどうであれ、1860年にオールコックは外国人で初めて富士山を登った人になりました。
しかし。
富士山の山頂に着くと、イギリス国旗を掲げて、火口に銃をぶっ放し(礼砲)、シャンパンで乾杯したそうです。
相当の達成感があったんでしょうね。
自由すぎる…
それから7年後にオールコックの次の2代目イギリス公使パークスが夫人ファニーを連れて富士山に登山旅行します。
※パークスとは…
イギリスの2代目駐日公使。
オールコックと同様に幕末の日本で活躍していた外交官である。
もみあげがすごい人。
このファニーこそ、外国人女性として初の富士山の登頂でした。
そして覚えてますか?
この頃、日本では女性が富士山を含む山に登るのは禁止されてましたよね?
このファニーの登頂によって外国人女性が富士山に登ったと言う前例ができ、「日本人女性も登ってよくね?」と言う感じになります。
そして1872年に女人禁制が解禁されたんです。
まさに外国人が富士山登山の歴史を動かしたんです。
しかも、富士山登山の歴史にはオールコックやパークスなどの幕末を語る上では欠かせない人たちが関わっていたのでした。
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