おかゆなれきし

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【東海道五十三次を歩く!17日目】毎日歴史観光できる京都が羨ましい!

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こんにちは。参勤系男子のしょう(@shos_history)です。

 

3月18日からついにスタートした東海道五十三次の旅略して一人参勤交代。

 

 

~これは現代文明(飛行機や新幹線など)があるにもかかわらず、それらを使わず東海道五十三次を自分の足で歩くというよくわからない企画の記録である~

 

今回は17日目滋賀県の大津市からのスタートです。

 

前回の16日目の記事を読んでいない方はこちらをチェックです!

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東海道五十三次を歩く!「逢坂関はうなぎ注意」

 

f:id:shoooy:20190518003448j:plain今日の実況はここ逢坂関おうさかのせきの石碑からスタートです。

 

石碑があるけどここが関があった場所ではありません。(関の場所は分からないらしい)

 

逢坂関は平安時代に都を守るために置かれた関所で、三重県の鈴鹿関と岐阜県の不破関と並び三関の1つです。

 

大昔から琵琶湖を要する大津と京都を結ぶ交通の要衝でした。

 

 

 

f:id:shoooy:20190518003630j:plainここにも馬の水飲み場がありました。

 

 

鈴鹿峠の時といい、馬の水飲み場だけはやたらと残ってません?

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東海道沿いで人馬の往来が激しいから馬の水飲み場があって、街道沿いで需要も多いから残ったんだと思います(多分)

 

馬に乗って東海道五十三次を歩いたら活用できるぞ!

 

まずは馬に乗るところからな…

 

 

歩いていると突然うなぎの国に迷い込んだのか、

 

 

 

f:id:shoooy:20190518003814j:plainうなぎ注意!

 

 

 

f:id:shoooy:20190518003903j:plainうなぎが通りますよ!

 

みたいな標識がありました。

 

道路横切る前にアスファルトの上で干からびて蒲焼きになってそう…

 

東海道五十三次を歩く!「京に行くか大坂に行くか」

 

歩き続けていると、道が綺麗に分かれている場所に来ました。

 

 

 

f:id:shoooy:20190518004005j:plain追分おいわけです。

 

だいぶ前に姫街道の追分でも登場しましたね。

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今度の分岐は右が京に続く東海道。

左が伏見、大坂に続く伏見道です。

 

トロッコゲームみたいな二択だな。

 

左に進んだら一生京都に着きませんね。

 

なんでここで分かれているかというと、参勤交代してる大名が京都に入って朝廷に接触するのを江戸幕府が嫌ったためです。

 

つまり、

 

参勤交代の場合は大名たちはここから左に進んだのです!

 

 

なぜ嫌うのか?

 

 

それはもう歴史が教えてくれていますね。

 

江戸時代もあくまで幕府が政治をする権利を朝廷から借りて行なっていました。

 

朝廷および天皇が日本のトップなのはずっと変わってないのです。

 

 

幕末に何が起こりましたか?

 

 

朝廷と結びついた藩(大名とかその家臣たち)が幕府を倒しましたよね。

 

おそらく幕府はそういう不安要素を前もって取り除くため、大名と朝廷の接触をさせないようにしていたんだと思います。

 

道1つから歴史の背景や色んな思惑が伝わってくるの面白いですよね。

 

 

ここで、ちょうど同じく東海道を歩いていた老夫婦に会いました。

 

歳を重ねても夫婦一緒に東海道を歩くっていいですね。

 

さてラストスパート頑張ります!

 

東海道五十三次を歩く!「車が通るための専用道路があった!」

 

歩いてたら道の脇に変わった石が置いてあったんですよ。

 

 

 

f:id:shoooy:20190518004335j:plain車石です!

 

昔は牛車ぎっしゃ(牛と車のコラボ)とかで荷物を運んでいました。

 

 

江戸時代の地面って覚えてます?

 

 

竹とか石とか土でしたよね。

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人でさえ転ぶのにタイヤのある牛車なんてさらに危ないですよね?

 

なので牛車専用道路みたいなものを作っていました。

 

 

 

f:id:shoooy:20190518004535j:plainそれが車石です!

 

車石を道の脇に敷き詰めて、その車石の溝をタイヤにはめて進んでいました。

 

だからなんか溝があるのか!

 

なんだかんだ江戸時代も不便ばかりではないということですね。

 

東海道五十三次を歩く!「明智光秀の首塚はひっそりと」

 

そしてそしてついに!

 

京都に入りました!

 

京都に入ったもののまだゴールではないのでゴール目指して歩き続けます。

 

 

 

f:id:shoooy:20190518004810j:plain坂本龍馬とお龍の結婚式場跡がありました。

 

坂本夫妻といえば日本初の新婚旅行をしたようですね。(諸説あります)

 

そして、たまたまグーグルマップに出てきて気になった場所に行きました。

 

 

明智光秀の首塚です!

 

 

※明智光秀とは…

戦国時代の武将で織田信長の部下。

1582年に本能寺の変で織田信長を倒して一時的に天下を取ったものの、中国地方での仕事から全速力で帰ってきた豊臣秀吉と戦って破れる。

負けて逃げている途中に農民に襲われて死亡した。

 

明智光秀が逃げている途中に農民に襲われたため、部下がせめて光秀の首だけは渡すまじと持っていこうとしました。

 

 

 

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だけど夜が明けてしまって、見つかったらヤバめだったのでこの地に埋めたと言います。

 

明智光秀の首塚は有名な人とは思えないくらい路地裏にひっそりとあるので、まだ行ったことない人はぜひ!

 

【明智光秀の首塚へのアクセス】

 

 

 

f:id:shoooy:20190518005101j:plain首塚へ行くまでの道がマジで京都オーラ全開でした。

 

こういうやつ。

 

東京は便利だけど京都は京都で毎日歴史観光できて羨ましいなと思いました。

 

そう思うのは歴史好きだけです…

 

東海道五十三次を歩く!「京都の三条大橋」

 

f:id:shoooy:20190518005709j:plainそしてゴールの三条大橋に到着しました!

 

 

 

f:id:shoooy:20190518005743j:plain出典:Wikipedia

 

東海道五十三次でも描かれています。

 

遠くに見える山が建物で見えてない以外はほとんど一緒ですね。

 

三条大橋はできた時代は分かっていないようですが、豊臣秀吉の命令で石柱の橋に改修されたのは1590年です。

 

橋に何個か見える某ドラゴンクエストのスライムのようなフォルムの擬宝珠ぎぼうしゅは、豊臣秀吉が改修した時のものそのものです。

 

当時のまま現存してるのスゴい!

 

14個あるうちの2個の擬宝珠には刀傷があります。

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f:id:shoooy:20190518010228j:plainこの傷は幕末の池田屋事件の時についた傷と言われており、当時の斬り合いの激しさを物語っています。

 

※池田屋事件とは…

幕末に京都の旅館「池田屋」に潜伏していた尊王攘夷そんのうじょういチーム(天皇を敬いつつ、外国は排除!的な思想の人たち)を新撰組が襲撃した事件。

京都御所に火を放ち、幕府の重要人物を暗殺し、天皇を連れ去るという計画を新撰組は未然に防いだとされている。(諸説あり)

 

放火に殺人に誘拐って極悪すぎる…

 

 

 

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今日は約12kmほど歩き京都の三条大橋に着きました。

 

そして17日間に及ぶ歩き旅「東海道五十三次を歩く」略して一人参勤交代が無事に終わりました。

 

総歩行距離は約520km。

総歩数は約861294歩。

 

正確な距離と歩数ではありませんが、大体どのくらいなのかの物差しになれば幸いです。

 

今後、東京から京都まで歩いていこうと思っている江戸っ子の方はぜひ参考にしてみてください!

 

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