歴史を楽しく学べる寺子屋

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歴史に少しでも興味を持ってもらったり、面白いと思ってもらえるように歴史を話すブログです。

歴史好きが歴史風に解説する!織田信長のtwitterの改善点!〜ツイート編〜

どうも料理の歴史を箸休め最終日のしょうです。

 

前回、キックさん(@kikumer)の企画を参考に織田信長さんのtwitterのプロフィールの修正をしてみました。

shoooy.hatenablog.com

 

今回はツイート編です。

 

「良さげなツイートしてるのに全く反応がない…」

「もっといろんな人にツイートを見てもらいたい!」

 

という方は是非この記事を読んでみてください!

 

歴史入らない!もう少し詳しく丁寧に知りたい!という方はキックさんがブログに書くと思うのでそちらを参照してください。

 

あくまでこの自分の記事は歴史を楽しく分かりやすく学び知ることができつつ、twitterも改善できるという自分らしさ全開の記事となってます。

 

今回は読者のみなさんに問題のような隠しネタを用意しています。

 

ツイート画像の図解にそれぞれ隠されているのですが、歴史好きなら簡単に気づくかもしれませんが、歴史の知識があまりない方だと難しいかもしれません。

 

ただ探すことも歴史を知ることに繋がるので歴史の知識があまりない方もぜひ見つけて

みてください。 

 

織田信長おだのぶながさんのtwitterのツイートの改善点!

 

まずは素直な図解です。

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これを見ればなんとなくわかると思いますが、意識するツイートの種類は大きく3つありました。

 

「わかりやすいツイート」「自分らしいツイート」「分析と変化のツイート」です。

 

「わかりやすいツイート」は文章が誰がみてもわかるくらいに書くツイート。

 

「自分らしいツイート」は自分の個性を出すツイート。

 

「分析と変化のツイート」は発信内容に変化を加えるツイート。

 

では織田信長さんのツイートを見てみましょう。

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これです。

 

日常感満載ですね。

 

twitterなんだからただ呟きたいのは分かります。

 

ただ色々な人に見てもらいたいと考えているのであればこれだと見てもらえません。

 

どうでもいい内容ですもん!

 

内容に関してですが、「比叡山ひえいざん」「延暦寺えんりゃくじ」など専門用語がふんだんに使われていますね。

 

おそらく延暦寺という寺を攻撃した後のツイートです。

 

これだと歴史好きなどの知識がある人以外は伝わりません。

 

次に、このツイートは「炎上について」言いたそうに見えたのですが、最後に「徳川家康とくがわいえやすにあった!」という別の話が出てきました。

 

徳川家康について気になった方はこちらをチェックです!

shoooy.hatenablog.com

 

shoooy.hatenablog.com

 

最後まで一貫していないこと、言いたいことが二つ以上あることから、結局なにが言いたいのか分からなくなっています。

 

これで9リツイートの30いいねですか。

 

さすがは織田信長さん。

 

有名人なら日常的なツイートでも反応があるということですね。

 

共感できる部分がある日常ツイートなら反応はあると思います。

 

このツイートには歴史を知っている人であれば気づく箇所があります。もし気づいたら引用リツイートで答えてみてください!

 

歴史をあまり知らない方は是非探しまくって歴史を知ってください。

 

このツイートよりもいろんな人に見てもらえるツイートはこうです!

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内容が全然違うのは許してください。

 

まず内容を最初から目を通して見てください。

 

どうでした?

 

見やすいし分かりやすくないですか?

 

専門用語がないから誰でもわかるというのが一つ大切な点です。

 

しかもツイート全体を見ても「全国制覇に必要なこと」が伝えたいこととわかるくらい、最後まで一貫しています。

 

これが大事なんです!

 

信長も全国制覇のために努力したんですね。

 

性格は悪いけど仲間を信頼しているところがうるっとくる…

 

もちろんこのツイートにも歴史好きなら気づくものが隠されています。もし気づいたら引用リツイートで答えてみてください!

 

より多くの人にtwitterでツイートを見てもらうには!

 

前回と今回で2回にわたってtwitterの改善をしてきました。

 

色々なことを織田信長さんのtwitterからわかったと思います。

 

結局一番大切なのは「自分らしさ」のあるツイートをすることです。

 

背伸びをして「有益なツイート」をするくらいなら無益な日常ツイートをした方がいいと思います。

 

自分らしさを出せる有益なツイートが今は最強なのではないでしょうか。

 

あと、フォロワーを増やすというより「仲間を増やす!」「共犯者を増やす!」といった風に考えた方がいいと思います。

 

実際共感してくれた人や気になった人がフォローしてくれるんですから、それはもう仲間であり共犯者です。

 

自分は最近「これから天下を取るので付いてきてください!」と言っています。笑

 

それを忘れずにtwitterライフを送ってください。

 

この戦国武将twitter図解が好評でしたらまた次回も作ってみますね。

歴史好きが歴史風に解説する!織田信長のTwitterの改善点!〜プロフィール編〜

どうも料理の歴史絶賛勉強中のしょうです。

 

今回は箸休め回です!

 

最近行われたキックさん(@kikumer)というブロガーの方がフォロワー5000人到達として「フォロワーが増えない人への相談に乗る」という下記の企画を行っていました。

 

それを勝手に図解したのですが、それだけじゃ面白くないということで今回歴史風に解説しようと思いました。

 

さらに詳しくてまともな話はおそらくキックさんがブログにすると思うのでそちらを見てみてください。

 

なんで解説するのか?

 

まずは企画の参加までの話をします。

 

フォロワーが欲しいとかももちろんあるんですけど、一番はたくさんの人に歴史の面白さを知って欲しいというのが根底にあります。

 

より多くの人にツイートを見てもらうにはどうしたら良いかなと思っていた矢先の企画だったので、これはアドバイス貰おう!と思って「お願いします!」ツイートをしようとしたら、、

 

「締め切ります!!!」

という涼しい一声が流れていました。

 

それを聞いた自分は、、

 

はぁぁぁぁ!!!

 

こんな感じです。

 

企画に気づいた頃には締め切りちょうど過ぎていました。

 

そこでふと思いました。

 

あの企画リプライで対応してるから、リプライの指摘コメント全部集めれば聞けなかった分取り戻せるんじゃね?と。

 

さらにリプライ欄ごちゃごちゃしてて全部眺めたい場合は見にくいのでまとめた方が見やすくなると思いました。

 

実際にコメント全部インプットして、それを図解にしてアウトプットしたら、聞いてないのに改善点が分かったのです。

 

ただ、それだけじゃあどこにでもいる図解の人。

歴史好きという自分らしさが全くないのです。

 

それだったら歴史風に解説しようじゃないか!

 

と閃いたので解説することにしました。

 

では早速行ってみよう!

 

織田信長おだのぶながさんのtwitterのプロフィールの改善点!

 

キックさんがいうプロフィール欄の指摘は大きく二つありました。

 

自己紹介文のところとそれ以外のアイコン・ヘッダー・名前のところです。

 

図解にして見たので参照ください!

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これだけじゃ分からないかもしれないので織田信長さんのtwitterを参考にしてみましょう!

(この「歴史の偉人がtwitterをやっていたら」という図解を作りたくて企画に乗っかったのはここだけの秘密!)

 

もし織田信長について軽く知りたい方はこちらをチェックするといいと思います!

shoooy.hatenablog.com

 

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まず名前です。

 

織田信長って怖いやつですよね?

 

怖いイメージもたれまくってるのに肩書きに「第六天魔王だいろくてんまおう」って怖いイメージを増幅させてるだけです。

 

怖いという元からあるイメージを払拭しないといけないんです。

じゃないと誰も近づきません。

 

写真はOK!これ以外はおそらく信長だと認識されませんので。

 

ヘッダー画像は長篠ながしのの戦い(信長が鉄砲てっぽうを使って武田たけだっていう人を倒した戦い)ですかね?

 

ヘッダーはただ貼り付けるのではなく何か一言欲しいところです。

 

最初の一文「天下統一を目指す大名」はまぁギリ問題ないとして、次です。

 

滋賀県の琵琶湖付近にある安土城あづちじょうに住んでます」

 

はぁぁぁ?

 

その個人情報いらなくないですか?

信長ファンなら欲しいかもしれませんが、基本どうでも良いですよね?

無駄な個人情報は書かなくて良いですね。

 

次の文に「鉄砲使ったり、茶器集めたりしてます」とありますが、結局何やってる人?って感じです。

 

なんでもやってますになっていて分かりづらいです。絞りましょう。

 

最後の一行「無言フォローOK!」も「泣かぬなら…」も全部無駄な文です。

 

無駄な文を書くくらいならフォローするメリットが書かれてないのでメリットをしっかり書きましょう!

 

文の中に三職推任さんしょくすいにんってなに?となりませんでした?

「神」「神」「神」の3つからどれか一つ選んで!っていうくらい豪華な官位の選択がありました。それです。

 

歴史ある程度知っている人であれば分かるかもしれませんが、基本知らないですよね?

初心者も対象にした幅広いターゲットにするならこれは無理があります。

 

全体的に歴史をある程度知っている人しか分からない文章です。

 

変えるならこうです!

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ヘッダーにはメッセージがあり、肩書きの「プロ炎上ヤー」は自虐ネタとなっており怖そうなイメージを払拭できています。

 

最初の一文「全国制覇に挑戦している48歳の殿様です。」はさっきの天下より全国制覇の方が初心者にも分かりやすいですよね!

 

次の「小さい頃からバカ殿呼ばわりされるも強いやつを倒して脱バカ殿→…」はバカにされていた頃から全国制覇寸前まできたという逆転劇の物語で人が好きな最強の王道パターンですね。

 

「関東地方と中部地方近畿地方は僕の国です。」は実際に自分の今の国を提示していて権威性も高いです。

 

「誰でもわかる全国制覇をする方法」を発信していると書かれてあり、フォローするメリットがありフォローしやすいです。

 

プロフィールは見てもらうことを考えて!

 

今回はキックさんの指摘を参考に織田信長さんのtwitterのプロフィールを修正してみました。

 

もしプロフィールの悪い例に該当している方がいればこの記事に登場した織田信長さんを見本に修正してみてください。

歴史の教員免許を持つ歴史好きが教える!きのこの歴史と江戸時代!

どうも、マイタケの天ぷら大好き系人間しょうです。

 

みなさんが一番好きなきのこはなんですか?

 

マツタケを思い浮かべたあなた!

 

うらやましい…

 

それぞれ色々なきのこを思い浮かべたと思いますが、江戸時代には食べられていたのか気になりません?

 

いつから食べてたのか気になりません?笑

 

気にならない方はこちらの里芋の記事に移動してくださいw

shoooy.hatenablog.com

 

少しでも気になる方はこのまま読み進めてみてください!

 

今回はきのこの歴史を少しと江戸時代に食べられていたきのこがどんなものなのか見ていこうと思います。

 

学校では習わない面白い歴史をどうぞ!

 

きのこの歴史は縄文時代から!

 

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今はどこでも食べられるきのこは、今から4000年前の縄文時代のなかば頃に食べ始められたと言われています。

 

その証明とされているのが「きのこの形をした土の製品」です。

 

縄文時代の遺跡から出ているのですが、どこからどう見てもきのこなのです。(気になった方は「きのこ 土器」で一瞬検索してみてください)

 

作られた理由はまだ議論されていますが候補となっている面白い理由があります。

 

それは食べたきのこの種類と形を把握するためです。

 

縄文時代は今みたいに食べられるきのこかどうかをインターネットや本で調べることはできません。

 

だから食べられるきのこや食べられないきのこを把握するために作ったという説です。

 

確かによく考えたら昔なんて情報がないので常にチャレンジの連続と考えたら、死ぬ確率を抑えるためという意味で作った可能性としては十分考えられます。

 

江戸時代に食べられていたきのこ!

 

江戸時代はきのこのことを「たけ」と呼んでいました。

 

まつたけ、しいたけ、まいたけのように今でも名前に残っていた「たけ」という字はその名残です。

 

江戸時代の食と効能の本として有名な『本朝食鑑ほんちょうしょっかん』には当時食べられていたきのこの記載があるので、どんなきのこだったのか、今とは違うのかを見てみましょう。

 

江戸時代の食について気になった方はこちらをチェックです!

shoooy.hatenablog.com 

松茸まつたけ…我が国のきのこのなかで最も良いものと書かれている

初茸はつたけ…味は甘く松茸より優れているが香りは及ばないと書かれているふ

・しめじ茸…江戸の町で販売されていたと書かれている

・しし茸…食べても問題はないが似たきのこに有害なものがあったらしい

椎茸しいたけ…口臭やネギやニラの臭いなどに使えていたらしい

平茸ひらたけ…中国ではまだ聞いたことがないきのこと書かれている

舞茸まいたけ…きのこの中で最も毒がないと書かれている

・えのき茸…えのきに米のとぎ汁をかけて生えてくるえのき茸は美味らしい

・ねずみ茸…ほうき茸のこと。味も見た目もえのき茸に似ているらしい

・きくらげ…食べるとクラゲのようにコリコリすることからこの名前がある

・いわ茸…岩石のところにヒモで登って採取するベテランがいたらしい

松露しょうろ…福岡の生きの松原というところで採れるものが貴重と書かれている

 

食べられているという記載があったのはこの上記12種類でした。(本に書いてあった説明文の面白いところだけ書きました!)

 

聞いたことあるものと聞いたことがないものがありますが、どれも今もありますね。

 

きのこの歴史は面白い!

 

縄文時代のあの環境できのこを採って食べる勇気がすごいなとただ思いました。笑

 

きのこなんて見た目全部危なそうですから。

 

そういう点でいうと縄文時代の人たちが一番チャレンジ精神があったのかもしれません。

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江戸時代も今と変わらないきのこを食べていたことも驚きました。(今はないようなもっと変なの食べてるかと思った。)

歴史の教員免許を持つ歴史好きが教える!お月見と里芋の関係とは!

どうも、お月見という行事を一回もしたことがないしょうです。

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お月見といえば何をお供えするか知ってますか?

 

もちろん「団子」ですよね?

 

実は昔は団子ではなく「里芋」をお供えしていたと言われています。

 

なんで団子じゃなくて里芋なの?

 

という疑問が出てきたと思うので今回は月見の謎にも迫っていきたいと思います。

 

この記事を読んだらぜひ月見の季節のひとネタとして使ってあげてください。

 

学校では習わない面白い歴史をどうぞ!

 

お月見とは?

 

そもそもお月見が何かわからないと話についてこれないと思うので、先に説明しちゃいますね。

 

お月見とは旧暦(昔の日にち)でいう8月15日、今でいう十五夜じゅうごやという日のことで満月を眺めて楽しむことです。

 

もちろん旧暦に該当する日なので毎年日にちは変わります。

 

今年2018年はカレンダーを見たところ9月24日(月)です!

 

この日になると月に見立てた月見団子という団子とススキをお供えします。(都会はもうほとんどやってなさそう…)

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昔のお月見は里芋を供えていた!

 

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今は団子をお供えしますが昔は団子ではなかったようです。

 

そもそも月見はただ月を眺めて楽しむ青春イベントではありません。

 

じゃあどんなイベントか。

 

その時代の食生活を象徴するもの、つながりが深いものをお供えして、収穫を感謝をするイベントだったのです。

 

そのため昔お供えされていたものは「里芋」だったと言われています。

 

お米じゃないの?

 

となるかもしれませんが安心してください。

 

里芋です!

 

なぜなら、里芋は稲作文化(お米)がやってくる前の縄文時代に東南アジアなど南方から日本に伝わっていた主食に近い食料だったからです。

 

里芋がお供えされていた可能性が高い理由は二つあります。

 

一つ目は旧暦の8月15日を「芋名月いもめいげつ」と呼んでいることです。

 

十五夜の夜は芋を収穫して感謝していたから「芋名月」なのかもしれません。

 

もう一つは江戸時代のお月見事情です。

 

江戸時代の8月15日は必ず里芋を煮て食べていたと昔の本『本朝食鑑ほんちょうしょっかん』に載っています。

 

その本は色々な食物について書かれていて果実酒も載っていました。

 

昔の果実酒について気になった方はこちらをチェックです! 

shoooy.hatenablog.com

 

江戸時代の末期には今の月見に近くなったのか団子を供えたようですが、その団子は里芋に似せて作っていたようです。

 

里芋はお米の先輩!

 

お米が伝わる前にすでに日本に伝わっていて、ずっしりと居座っていた里芋先輩。

 

いつの間にか新参者のお米さんに主食の座から引きずり降ろされていますが、それでも昔の主食だったことはほぼ間違いのない事実です。

 

今の現状じゃ考えられないですね。

 

だって、里芋の煮物くらいしか食べる機会ないですもん。

 

このお月見の季節に里芋を食べる流れはまだ残っていますが、それにはまさかこんな深い理由があったなんて誰が想像していたでしょうか。

 

今回言いたいのはお月見と里芋が関係していたこと、里芋をなめてはいけないぞと言うことの二点でした!笑

歴史好きが超絶わかりやすく教える!江戸時代の日本酒事情は面白い!

どうも、最近お酒の話ばかりで酔ってきたしょうです。

 

そして面白いのは自分自身が歴史は大好きだけどお酒は大好きではないというところです。

 

ただ歴史のおかげでお酒にも興味を持ったのは確かです。笑

 

お酒と歴史の話は今回がひとまずラストです!

 

今までに果実酒の歴史や昔の梅酒の作り方、居酒屋の歴史などを見てきました。

 

少し振り返ると江戸時代は料理ブームもありましたがそれと同時にお酒ブームにもなっていました。

 

それは心にゆとりができて健康を意識しだしたからという理由があります。

shoooy.hatenablog.com

 

それとともに健康について書かれた本も出てきました。

shoooy.hatenablog.com

 

それとともに酒も適量なら健康にいいということで果実酒も増えていったのですが、もちろん日本酒も進化していきました。

 

今回はそんな当時の日本酒事情を歴史好きが超絶分かりやすく教えます!

 

学校では習わない面白い歴史をどうぞ!

 

日本酒って?

 

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上の画像のようにおちょこ(ちっちゃいコップ)に注いで飲む透明な酒です。

 

米と水とこうじ(米にカビをかけて作るもの)が原料です。

 

味が果実酒と違って独特なので好みが分かれるやつです。

 

個人的には苦手な部類のお酒です。笑

 

ちなみにこのおちょこは当初は料理の盛り付けに使われていたのですが、江戸時代になって利き酒(試し飲み)用のお酒入れになったりしていつの間にかお酒を飲むためのコップになりました。

 

江戸時代の居酒屋について気になった方はこちらをチェックです!

shoooy.hatenablog.com 

江戸時代は関西方面からの日本酒が高級品!

 

戦いの無い時代であった江戸時代。

 

平和な時代は健康を意識する人々を溢れさせました。

 

健康へのニーズが高まり、お酒も健康のための一つの薬とされていたのです。
shoooy.hatenablog.com

 

そんな戸時代は上方かみがた(京都や関西)から江戸に運ばれてくるものを「くだりもの」と言いました。

 

その運ばれてくるものの中でお酒のことを「下り酒」と呼び江戸の人々は大喜びでした。

 

酒以外にも醤油や塩や菓子までも上方からやってくる「下りもの」は高級品扱いされました。

 

逆に江戸周辺のものは「下らないもの」として下級品扱いされました。

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京都産のものの質が高かったこと、京都は文化の中心で由緒があることから高級品とされたのです。

 

日本酒専用の船の登場!

 

当初は馬に乗せて運ばれていた日本酒ですが、量が増えてきたので船に変わりました。

 

それが樽廻船たるかいせんという酒専用の船ですw

 

その船に乗せられた日本酒は荒波にもまれたり、入れ物が杉の樽だったので杉の匂いが染み込んだりして一層美味しくなったのです。

 

江戸時代に発展する日本酒の製造技術!

 

江戸時代には気温の低い冬に場に日本酒を作る「寒造かんづくり」という仕込み方法が登場しました。

 

寒い季節はバイキンマン(雑菌)が繁殖しにくいのです。

 

また加熱殺菌をすることによって腐敗を防ぐ「火入れ」という技術も開発されました。

 

これらの製造技術によって日本酒の品質は向上し、今まで濁った酒を飲んでいた庶民が今のような透明な日本酒である清酒すみざけを飲めるようになったのです。

 

日本酒の中で「新走あらばしり」は一番人気!

 

その年に採れた米(新米)を使って作る日本酒を「新酒」といいました。

 

その日本酒の中でも、まだ原料の麹の香りが残っていたものを「新走」といい、江戸の人々には大変人気だったみたいです。

 

匂いがする=麹酸とか原料の栄養がいっぱい生きているので健康にもいい酒です。

 

江戸の日本酒事情は面白い!

 

健康にもいい、美味しいの良いことづくめの日本酒。

 

江戸時代のお酒ブームにうまく乗っかれた酒でした。笑

shoooy.hatenablog.com

 

船の揺れや樽の匂いでもお酒が更に美味しくなるのです。

めちゃくちゃ面白いですよね。

 

この記事を読んで日本酒が飲みたくなった方はぜひ居酒屋やコンビニで購入して飲んでみてください。

 

もしかしたら美味しく感じれるようになっているかもしれません。笑

歴史好きが超絶わかりやすく教える!江戸から始まる居酒屋の歴史!

どうも居酒屋に行ったら基本カシスオレンジか梅酒の女子力高めのしょうです。

 

果実酒の歴史が気になった方はこちらをチェックです!

shoooy.hatenablog.com

 

友達や知り合いや会社の人たちとゆっくりお酒を飲みながら話せる居酒屋はとてもすばらしい空間だと思います。

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そんな居酒屋が実は江戸時代からの歴史だったの知ってましたか?

 

誰もが足を運ぶ居酒屋で困ったときに使える居酒屋トークとして持っておいても損はしないであろう居酒屋の歴史豆知識を話します。

 

ここで知ったことを明日から使っていってください!

 

居酒屋とは?

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簡単にいうと、酒とおつまみのような簡単な料理を提供するお店のことです。

 

お酒を販売する酒屋は昔からありました。

 

江戸時代の日本酒事情について気になった方はこちらをチェックです!

shoooy.hatenablog.com

 

小売りの酒屋が店先で味利きのために飲ませたのが始まりです。

 

味利きとは酒の味を試すことです。

 

スーパーとかに行ったらウインナーとか食べさせてくれるあれです!

 

自分が小さい頃は食べ放題だとはしゃいでました…笑

 

その味利きで飲ませていた酒がいつの間にか酒の一杯売りに変わり簡単なつまみも出す居酒屋のようなスタイルが出来上がりました。

 

居酒屋は居続けて酒が飲める場所だから居酒屋というのです。

 

江戸から始まる居酒屋の歴史!

 

神田鎌倉河岸かんだかまくらがし というところに豊島屋という酒屋がありました。

 

あるとき豊島屋は酒を原価(160円くらい)で提供し、そのお酒のつまみとして豆腐を安く出しした(40円くらい)ところ評判になりました。

 

 現金安売りが根幹にあるお店のようで、元祖価格破壊かもしれません。

 

創業は1596年で、まだ豊臣秀吉が生きていた安土桃山時代と言われる時代です。

現在もお店が残っていますが場所は千代田区に移動しています。

 

こちらがホームページになっています。気になった方はどうぞ!

www.toshimaya.co.jp

 

歴史が半端ない…

 

その後の江戸の居酒屋事情

 

豊島屋の繁盛に刺激されたのか、江戸の町に多くの居酒屋が誕生しました。

 

最初は豊島屋のように豆腐のような簡単なつまみでしたが、次第におでんや魚や肉などが登場しつまみの種類が増えました。

 

もはや今の居酒屋と同じです。

 

居酒屋は江戸時代の大発明

 

人と話しながら気軽に飲み食いができる居酒屋。

 

その誕生は江戸時代でした。

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当時は男が多く、彼らは料理をしなかったので食事も取れる居酒屋は江戸の人々に好まれたのも事実でしょう。

 

男が多い?料理?ときになった方はこちらをチェックです!

shoooy.hatenablog.com

 

江戸時代は今も受け継いでいる色々なものが誕生した時代なのです。

歴史好きが超絶わかりやすく教える!昔の果実酒「梅酒」の作り方!

どうも、最近食の歴史にハマり出してきたしょうです。

 

前回、果実酒の歴史を猿が作った「猿酒さるざけ」と江戸時代の人々の健康意識から面白く話しました。

 

果実酒の歴史?猿?と気になった方はこちらをチェックです!

shoooy.hatenablog.com

 

実は前回登場した江戸時代の古い本の中に昔の果実酒の作り方が載ってました。

 

昔は果実酒をどうやって作っていたんだろうと少し興味を持ったり、疑問に思ったりしている方がいると思います。

 

天下のクック◯ッドにも載ってないと思う(多分)ので、ぜひこの記事を参考にして作ってみてください。

 

今回は果実酒のなかで自分自身が好きな梅酒の江戸時代の時の作り方を簡単に紹介しようと思います。

 

昔の梅酒の作り方!

 

①半熟の中くらいの梅(青梅)をワラの灰汁あくに一晩浸す。

 

※ワラとは…

稲や小麦などの茎を乾燥させたもの。昔の家(竪穴住居たてあなじゅうきょ)はワラが使われていた。

 

竪穴式住居はこんな感じのやつです!(九州旅行に行ったときに撮ったもの)

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②灰汁の中から梅を取り出して紙で拭く。

 

③梅を酒で洗う。

 

④洗った梅を古酒5しょう(1升が1800mlなので9000mlくらい)と白砂糖7きん(1斤で600gなので4200g)を合わせて浸けておく。

 

20日ほど過ぎたら梅を取り出して完成。(酒はもちろん梅も用途があるらしい)

  

これ何人分?笑

 

今と昔の作り方の違い

 

何個か梅酒の作り方が載っているサイトを比べたところ今と昔で作り方に少し違いがあったので、その違いを紹介します。

 

アク抜きの方法と時間

 

今の梅酒は水でアク抜きをしますが、昔(江戸時代)はワラの灰汁あくに浸けてアク抜きをしています。

 

灰汁は植物の繊維を柔らかくする性質があるようなので、江戸時代の人は灰汁を使って梅を柔らかくしてアク抜きを容易にしようとしていたのかもしれません。

 

アク抜きの時間も違い、今はだいたい2時間ほどなのに対して、昔は一晩でした。

 

下ごしらえは昔の方が丁寧だったということです。

 

ヘタを取る

 

今は梅のヘタをとる作業があるのですが、昔は本をみた感じヘタを取るという作業が見えないのでおそらくヘタを取っていないです。

 

ヘタを取るのはヘタからえぐい味が滲み出てしまうのを防ぐためです。

 

つまりヘタを取った方が美味しい梅酒になるということですが、そんなこと江戸時代から知られてなさそうなのでこの作業がないのは当然かもしれないです。

 

ホワイトリカーを使う 

 

今は果実酒を作るときにホワイトリカーという焼酎に分類される無味無臭のお酒を使います。

 

これは果実酒はアルコール度数35度のお酒で作ると良いとされていることと、無味無臭によって果実本来の風味を感じることができるという点で選ばれています。

 

極論、アルコール度数が35度以上であればホワイトリカーではなくてもなんでも良いようです。

 

ちなみにアルコール度数が20度に満たないお酒を使用することは酒税法という法律で禁止されているので注意が必要です。

 

もちろん他にも酒税法に関しては規定がありますので詳細は国税庁のホームページをチェックです。

 

昔はホワイトリカーなんてないので古酒(作られてから長期間熟成された酒)を使っていました。

 

氷砂糖と白砂糖

 

今は梅酒には氷砂糖が使われます。

これは氷砂糖がゆっくり溶けることは梅の成分がしみ出してくる速度とバランスが良いためです。

 

昔は白砂糖が使われていました。

 

保存熟成の期間

 

今はだいたい早くて3ヵ月、ちょうど良い飲み頃が半年〜1年です。

 

昔は20日過ぎていたらもう飲んでいました。

 

圧倒的速さ…

 

おそらく江戸っ子特有の待つのが嫌いが発動していたのかもしれません。

 

ただ、「年月をかけたものが良い」という記述があるので、昔もしっかり熟成させた方が美味しいことは認知されていたようです。

 

昔の果実酒の梅酒は今と少し違う!

 

ããªã¼åç ããã¼ãã¨é£¾ãã®èã£ã±昔の梅酒の作り方を見ながら今と昔の梅酒の作り方の違いを見てみましたが、時代という環境のせいかやはり作り方が所々違いました。

 

ただほとんど今と変わらない作り方だったのも事実です。

 

そして調べているうちに酒税法という法律があることも知りました。

 

この昔のレシピを見て梅酒を作ってみようと思う方は、酒税法に気をつけながら作ってください。

 

昔の人たちが飲んだ梅酒を飲めば少しは江戸時代の風景が見えるかもしれません。笑