【歴史好きがオススメしながら解説する】上野の歴史観光地厳選10選!
どうも東しょう大権現(@shos_history)です。
背景が黄金だから王様っぽいと思いきや服装で雑魚っぽく見える…
つまり徳川家康は死んで神になったんです!
ええ…
当時は英雄が死んだら神に昇格させるのが流行っていたんでしょう。豊臣秀吉なんて
【おかゆな補足】
昇格させるのが流行っていたというより、神にすることで時の政権が有利に物事を進められるという意味がありました。
神様には「モテますように…」とか「健康に過ごせますように…」ってお祈りしますよね?
つまりそういう心の支配が可能になるわけです。
僕が今どこにいるかというと、
上野です!
上野には想像以上に多くの歴史があるんですよ。
特に上野駅からすぐの上野公園にはめちゃくちゃ歴史があります!
今回はそんな上野の歴史の中から観光に最適なものを厳選10選で紹介します!
上野の歴史は徳川の歴史
上野という地名が記録上最初に登場するのは戦国時代の北条氏が作った部下たちのステータスが書かれた本。
ゲーム攻略の時によく見るあれの戦国時代バージョンです。
戦国時代のころは東京はもちろん関東のほぼ全てを支配していたのが北条氏でした。
関東の覇者としてのプライドか、日本のてっぺんに君臨した豊臣秀吉に頭を下げなかったので、北条氏は(秀吉に)滅ぼされます。
それからこの空いた関東にやってきたのが我らがパイセン徳川家康です。
上野はもともと人があんまりいなかったんですが、上野公園のところに
【おかゆな補足〜門前町とは?〜】
神社やお寺の周りに形成された町のことです。
参詣者を相手に商売するお店が立ち並び賑わっていました。
今も神社やお寺に行く手前にいろんなお店がありますよね?あれです。
この寛永寺を建立したのが徳川家光(江戸幕府三代将軍)と
今の上野公園のほとんどすべての土地を寛永寺が持っていました!
そんな寛永寺は江戸時代の終わり頃にあった「戊辰戦争」の1つ上野戦争の舞台になってしまい、ほとんどが焼けてしまいました。
焼けてから寛永寺は縮小し、その土地を上野公園として再整備されていきます。
ここまでがおかゆ並みに噛み砕いた上野の歴史です。
この流れの歴史を頭の片隅に置いた状態で読み進めていきましょう!
上野の歴史観光①「上野のシンボル西郷隆盛像」
スタートはここ不忍口側の上野公園入り口。
この階段を登って行くと見えてくるのが、、、
西郷隆盛さんの銅像です!
上野といえばなに?と聞かれて真っ先に出てくるシンボルNo.1ではないでしょうか?
1898年に公開された銅像ですが、公開初日に見にきていた妻が
「私の主人はこんな人じゃないですが…」
と言ったというエピソードは有名です。
西郷隆盛を側で見ていた妻が「こんな人じゃない」っていうと言うことは、もしかしたら本人に似てない部分があったのかもしれませんね。
昭和時代の初めまで、この西郷隆盛像の鼻に紙玉(紙を丸めたやつ)を当てたら出世するなんて言われて的になっていたそうです。
西郷隆盛像の鼻狙うの難しすぎだろ…
当てた人は的当てのセンスあるから弓道習ったほうがいい。
上野の歴史観光②「ひっそり存在する彰義隊 のお墓」
西郷隆盛像のちょうど後ろにひっそり存在するものが1つあります。
彰義隊のお墓です!
彰義隊は江戸時代の終わりの内戦「
最終的に寛永寺に立てこもって新政府軍と戦い、壮絶な最期を迎えました。
彰義隊士たちの遺体はここで火葬されます。
しかし、一度新政府に対抗した時点で
じゃあどうしたかと言うと、、、
住職さんが密かに小さな墓石を立てます。(最初は墓石を埋めていた)
やっと明治政府(さっきの新政府軍の政権)から許されてそうな雰囲気が出てから置かれたのが、
大きな墓石です!
それでも流石に遠慮したのか「彰義隊の墓」とは書かず、「戦死の墓」と書かれました。
ここの墓守をしているのは小川さんと言う人。
当時の彰義隊のメンバーであった
どうやらその小川椙太(送り仮名=すぎた)が同じ彰義隊メンバーたちの供養のために奔走し、お墓を建立し、そのお墓の管理をしたようです。
それから現在まで小川一族が彰義隊のお墓を管理しており、今も小川さんが見守り続けています。
なんだこの感動のストーリーは…
これだけで一本映画作れる気がする…
上野の歴史観光③「江戸からずっと親しまれてきた清水観音堂」
上野に現存するもっとも古い建物の1つが
清水観音堂です!
江戸時代に天海と言うお坊さんによって寛永寺の付属として建てられたもので、それ以来、変わらず庶民に親しまれた観光スポットの1つとなってます。
浮世絵にも出てくるとか!
戊辰戦争などの戦火や災害にも耐えて現存してるのすごい…
上野の歴史観光④「不忍池に浮かぶ弁天堂」
上野公園に存在する一際大きな池「不忍池」。
その不忍池の真ん中に浮かぶように佇んでいるのが、
弁天堂というお堂(神仏を祀った小さな建物)です!
この弁天堂のある場所はできたてホヤホヤの頃は陸続きではなく、船を使わないとお参りできませんでした。
江戸時代の途中から橋が架けられて今のように歩いて渡れるようになったんですよ!
弁天堂には不思議な石碑が多くありました。
フグの供養塔やら。
フグの供養とは…
メガネの碑やら。
もうなんでもありか…
メガネは実際に使った最初の記録が残っているのが徳川家康なので、元祖メガネユーザーかもしれませんよ。
家康は当時の日本では珍しいものを結構持ってました!気になった方はこちらの記事をチェックです!
上野の歴史観光⑤「赤い鳥居がすごい花園稲荷神社」
上野に京都の伏見稲荷大社並みに赤い鳥居がすごい場所があります。
花園稲荷神社です!
入り口から大量の赤い鳥居がお出迎えしてくれます。
しかも森の中にできた赤い鳥居の道を進んでいく感じなので、
ワクワクが止まらないです!
進んだ先には普通の神社が待ってますよ!
神社の写真ないのかい!
赤い鳥居と冒険の雰囲気が楽しくて忘れてました。
上野の歴史観光⑥「上野にあった幻の大仏」
みなさん。上野に大仏があったの知ってましたか?
ええ?それは知らない!
1631年に戦乱に倒れた敵味方の冥福を祈るために上野に建立された上野大仏は数多の災害によって頭部が落下したり、頭部が損傷したり、頭部が落下したりしました。
頭部の落下率…
なんとか生き残っていたものの、関東大震災でついに頭部が大破。
この頭部とかはとりあえず寛永寺に保管されました。
第二次世界大戦の「鉄回収〜!」とか言われた時に、顔面以外の頭部と体は旅立ちました。
1972年になって、整形したかのように別人にはなったものの、大仏の顔面部分だけ元の場所に戻ってきました。
それがこちらです!
なんで顔面だけ…
もはやちょっとしたホラー。
今は、自虐ネタかのように「これ以上落ちない」と言う意味で合格大仏と呼ばれるようになって受験生が合格祈願に訪れるスポットになっています。
これ以上落ちない(顔が)
怖すぎワロタwww
受験とか合否がかかってるイベントを控えている方は訪れてみてはいかがでしょうか!
上野の歴史観光⑦「上野にそびえるすごい門たち」
上野には歴史オーラが漂うすごい門がいくつもあります。
例えばこの門。
寛永寺の旧本坊表門です!
【おかゆな補足〜本坊とは〜】
お寺のお坊さんが生活する場所にして、寺の仕事を取り仕切る場所。
江戸時代の頃の寛永寺の門の1つで、上野戦争(将軍の命を助けるぞ〜の彰義隊と鎮圧鎮圧!の新政府の戦い)で唯一焼け残った奇跡の門です。
今は寛永寺輪王殿(葬式全般や式典に使えるらしい)というところの門に再就職しています。
そしてこちらは、、
旧因州池田屋敷表門です!
鳥取の池田家の屋敷の門ですね。
江戸時代は参勤交代(いわゆる出社)で地方から江戸にやってくるので、江戸に自分たちの別荘的な屋敷を置いていたんです。
この池田家の門は土日祝日と1月2、3日の10時〜16時に一般開門しているので殿様気分でぜひ潜ってみてはいかがでしょうか!
上野の歴史観光⑧「今はひっそり寛永寺」
江戸時代までは今の上野公園のほとんどすべての土地を持っていた寛永寺。
上野公園の敷地かわからないくらいのところにひっそり存在しています。
中には上野戦争の実態が書かれた石碑がありますよー!
実際に近くで見てみたんですが、
何書いてあるか全く分かりません!!
ただ、こんなに大きな石碑にたくさんの文字を書いていることから、、
とても伝えたいことなんだろうな〜
ということは分かりました!!
この石碑は上野戦争の彰義隊の生き残りにして彰義隊の名付け親の
この石碑の内容は阿部が上野戦争の実態を詳細に書いたとされますが、 石碑を建てる許可を政府に求め時にいくつか修正させられたといいます。
闇が深い…
お寺は日本一のホワイト企業なので17時には閉まりますので観光する際はご注意ください。
夏の時期は上野公園よりも彰義隊(蚊)がたくさんいるので、スプレーという武器は必須です!
上野の歴史観光⑨「金色の輝き上野東照宮」
上野の歴史観光といえばここは外せません。
上野東照宮です!
日光東照宮とか東照宮と名前がつく神社は全国各地にありますが、要するに徳川家康が祀られている神社のことです。
ここ上野東照宮はオマケに目安箱とかで有名な8代将軍徳川吉宗、江戸幕府最後の将軍の徳川慶喜も祀られています。
ここまで豪華なオマケはみたことがない…
立派な鳥居の奥に進むと金色に輝く建物が見えます。
唐門(屋根の頭部が凸、両サイドが凹になってるやつ)です。
冒頭の写真はここか!
一人でしかも人見知りなのにどうやって写真撮ったの?って思う方!
安心してください!
上野東照宮は今回撮影した唐門はもちろん、内部にもひとりぼっちでも安心の撮影スタンドが設置されています!
一人で来ても安心して思い出の一枚が残せますよ!
上野東照宮の人有能すぎるwww
ここから先は拝観料を500円払うことで見ることができますよ。
10月〜2月は9時〜16時半。3月〜9月は9時〜17時半が参拝時間で時期によって違うのでご注意を!
上野の歴史観光⑩「京都や奈良にも劣らない五重塔」
京都とか奈良に観光に行くと必ず見る五重塔。
なんとその五重塔が上野にもあるの知ってましたか?
僕は今回この記事を書くために歩いて初めて知りました。
どこにあるかというと、
上野動物園の中。
さらにいうと動物園内のシカ舎(多分シカがいるところ)の横。
ええええええ!と驚くかもしれませんが、最初に言った通り、もともと上野公園のほとんどの土地が寛永寺の敷地だったので不思議ではありません。
そのほとんど敷地だった頃の名残です。
この旧寛永寺五重塔は1631年に土井利勝という幕府の偉い人によって建立&寄進(寄付)されたものです。
秒で(7年後に)燃えてしまって再建されたのが今現存している五重塔です。
関東大震災や第二次世界大戦などの数々の災害から焼失を免れた奇跡の建造物の1つです。
上野動物園内ということで、一般だと600円、中学生だと200円(都内在住・在学は無料)の課金が必要です。
課金かよ。と思う方!
たった600円を課金をするだけで、江戸時代から残る奇跡の五重塔をみれつつ、オマケにかわいい動物たちを拝むことができるんです!
絶対オマケ逆じゃね…?
もしそれでも課金が嫌だという方。
さっきの上野東照宮の黄金の唐門に向かう途中で見ることができます。
※木が敵キャラばりに邪魔してくるので綺麗に取ることはできないので注意!
上野には想像以上に歴史がある!
どうでしたか?上野には想像以上に歴史がありましたね。
実は今回紹介したほとんどの歴史に天海というお坊さんが絡んでたんですよ!
ちなみに上野の桜を植えたのも天海です。
まさに上野の歴史=天海です。
天海何者??
すごいお坊さんです!
今回厳選して紹介した歴史観光地以外にも、
上野公園の生みの親「ボードワン博士の銅像」
白衣に試験管「野口英世の銅像」
江戸時代の貴重な明かりがついていた「おばけ灯籠」
時計がない時代に時を知らせてくれた江戸時代「時の鐘」
などなどまだまだ魅力的な歴史がたくさんあります。
ぜひ上野をゆっくり歩いて歴史を見つけてみてください!
まさか東京の上野にこんなたくさんの歴史があったとは…
上野には僕らの想像以上に歴史がありますね!
【参考文献】
浦井正明著『「上野」時空遊行』プレジデント社 2002年
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