その人次第でモノの見方が変わるってフロイスさんが言ってる!(言ってない)
どうも!最近、捨てると投げるの違いで悩んでいるしょう(@shos_history)です。
言葉において、違いがよくわからないものってたくさんありません?
「捨てる」と「投げる」とか。
「発酵」と「腐敗」とか。
「そば」と「そうめん」とか。
最後のは明らかに違うな?
なんでほとんど同じ意味なのに言葉が違うんだろう…って思ったので今回も歴史を絡めながら紐解いてみようと思います。
せっかくなので皆さんにも悩みを共有してもらいますね!
モノの見方が変わる!
ではさっそく問題です!(デデン♩)
これは捨てる?投げる?
漂う日常感がすごい…
これは捨てる?投げる?
どうでした?
どっちもゴミ箱に向かって放ってるので同じ感じがしますよね?
強いていうなら飛ばしてるモノが違うくらいです。
僕には違いが全くわからないので、我らが広辞苑先生に聞いてみました。
OK!広辞苑!捨てるの意味は?(とブツブツ言いながら文字を打つ)
「不要なものとして物を手から離す」
「見放す」
「大切なものを投げ出す」
「しりぞける」
「出家する」
だいたい同じようなこと言ってるんだが…
別々に分ける意味とは一体…
まぁいろんな意味出てきましたが、一番最初に出てきた「不要なものとして物を手から離す」が基本でしょう。
では投げるも聞いておきましょう。
OK!広辞苑!投げるの意味は?(とブツブツ言いながら文字を打つ)
「遠くへほうる」
「柔道・相撲などで腕・腰の力で相手を倒す」
「身をほうり出す」
「すべきことを途中でほうりだす」
「物を捨てる」
相変わらずほぼ一緒のことを言ってますが、一番最初の「遠くへほうる」が基本でしょう。
と綺麗に次に行こうと思ったんですけど、
天下の広辞苑さんが物を捨てるって書いちゃってるんです!
つまり投げると捨てるは同じ意味ということです。
天下の広辞苑さんが言っているので異論は認められません。
なんたって、国語界の審判ですから。審判の判断は絶対です。
じゃあなんで言葉が違うんだろうか…って思ったんですよね。
そしたら、この謎のヒントになることをかの有名なルイスフロイスが言っていたんですよ。
その人次第でモノの見方が変わる!
ルイスフロイスは戦国時代に日本にやってきた「キリスト教いいよ〜!」って営業しにきたポルトガル人です。
戦国時代なのでもちろん、織田信長や豊臣秀吉に会ってます。
そんなフロイスは日本で自分が見たものを記録して本にしています。
代表作『日本史』は日本人ではない第三者目線で当時の日本の歴史が詳細に描かれており、今でも重要な研究材料です。
そんなフロイスの書いた数多くの記録の中に
「日本人は腐敗した魚の臓物をとても喜んで食べる」
とあります。
魚介類の身や内臓を塩漬けして発酵させたいわゆる塩辛のことなんですが、当時の日本では普通に食べられていました。
魚自体は日本人は昔から好んで食べていますよ。
塩辛といえば今でもご飯にのせて食べますよね。
そんな塩辛を食べていた日本人の様子を見たフロイスは
「げぇ…腐ってる魚の内臓を食べてるよ…」
って驚いたんです。
なんで驚いたか?
そんな文化がなかったからでしょう!
どう考えても、見たことないものを見て驚いている記述なので多分そういうことです。
日本では昔から発酵食品を作っていたし、食べていました。
納豆とか醤油とか味噌とか全て発酵食品ですよね。
発酵の文化を知らないフロイスは「発酵」を「腐敗」と見たのです。
これに関して食文化研究者の石毛直道さんは「発酵か腐敗かは人間側の価値観で決まる。人にとって有益なら発酵、不都合であれば腐敗とされる。」と言っています。
実は発酵と腐敗は同じ意味で区別はできません。
人間からみた価値観で言葉が変わるんです!
言い換えると、、、
その人次第でモノの見方が変わる!
ということです。
今回の場合は人間視点で食べられるものが発酵、食べられないものが腐敗ということでしょう。
フロイスの何気ない記述がヒントになりましたね。
実質フロイスが言って教えてくれたようなものです!
実質が無理やりすぎる…
フロイスサンキュー!
「その人次第でモノの見方が変わる」とすると、最初の僕の疑問が解決しそうですね。
ボールは投げたくなるから投げる。
鼻かんだティッシュは汚いから捨てる。
つまりそういうことです。
どれも入ってないんだが…
深いようで深くないようでちょっと深い話でした。
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!
最近はYouTubeも始めました。これから動画方面も攻めて行くのでぜひチャンネル登録・高評価よろしくお願いします!
僕が考えた最強の夏の暑さ対策は間違いなくこれ!
めちゃくちゃ涼しい場所いるしょう(@shos_history)です!
快適そうな顔してないんだが…
その理由はこの記事の最後に分かります。
夏ってめちゃくちゃ暑いですよね?
溶けそうなくらい暑い夏ですが、僕はパンツ一丁で生活することで暑さ対策しています。
おまわりさん!こっちです!
家の中だけなのでセーフ!
パンツ一丁だと外へは出られないので、外でも涼しめるような夏の暑さ対策を今回は考えてみようと思います!
江戸時代と現代の夏の暑さ対策!
みなさんの夏の暑さ対策ってなんですか?
江戸時代の人たちに夏の暑さ対策のアンケートをとったところこのような結果になりました。
(僕の独断と偏見によるアンケート結果です)
キツすぎん?
当時はクーラーや扇風機なんて高度なアイテムはないので、この結果になるのは仕方ないです。
ちなみに江戸時代の地面は今のようにアスファルトではなく土なので、打ち水をすると水がしっかりしみ込んでくれるので、気温がしっかり下がります。
でもキツすぎん?
昔は今ほど暑くはなかったのでうちわと打ち水でなんとかなってたんですよ。
ちなみに現代人に夏の暑さ対策のアンケートをとったら、、、
多分こんな感じです!
(こちらもあくまで僕の独断と偏見によるアンケート結果です)
ゴキブリホイホイに引っかかるゴキブリの気持ちがわかる…
やはり江戸時代と現代だと夏の暑さへの対策が全然違いますね。
僕が考えた最強の夏の暑さ対策は「富士山」!
現代の夏の暑さ対策として「クーラー」は確かに最強なんですが、弱点があるんですよ。
それは…
そこから動けない!
ぐはっ!!!
クーラーはコタツと同じでブラックホールのようなものなので、そこから出られず、動けなくなってしまいます。
しかも、
周りの目が気になる!
クーラーが効いている場所はコンビニとかデパートとかお店がメインですよね。
お店で何も買わないのに涼むなんて、周りの目が気になって気まずいだけです。
し・か・し!
周りの目を気にせず、しかも移動しながら涼しむことができる最強の暑さ対策があるんですよ!
しかも健康にもいいおまけ付きです!
早く教えてくれ!
それは、、、
富士山に登ることです!
はぁ?
大昔から日本人に親しまれ、日本の象徴ともいうべき存在が富士山。
聖徳太子も馬で飛び越えたり、幕末には外国人が登りたがりだったり、魅力と歴史が溢れる富士山がなぜ最強の夏の暑さ対策なのか。
それは、、、
涼しいんです!
非常に涼しいんです!
日本でもっとも太陽に近い富士山がなんで涼しいの?
大気というのは上空に行けば行くほど空気の量が減り、圧力も低くなるそうです。
空気には圧力が低くなると温度が下がる性質があるようで、それで気温が下がって涼しいというわけです。
まぁ要するに、上空に行けば行くほど気温が下がるということ!
さらに言い換えると、高い場所ほど涼しいということ!
日本で一番高い場所=富士山。
つまり、、、
もっとも涼しい場所が富士山と言っても過言じゃないということです!
ちなみに、温度が高くなる原理に太陽の熱が地面を暖めて地面の熱で空気が温まっているのですが、その地面からの熱も富士山のように高いものにはそもそも届かないです。
だから暑くなることはないのです!
どうりで山の頂上に雪が積もってる写真が多いわけだ。
ってかブログって理科だっけ?
そして富士山は山登りとして行くことができるので、
・周りの目を気にせず涼しむことができる!
・山登りなので移動しながら涼しめる!
・運動なので健康にいい!
・歴史も知れる!
この4点が揃っている最強の夏の暑さ対策なのです!
まさに一石四鳥!
僕も実際に富士山に登ってきたのですが、めっちゃ涼しかったです!
ただし、富士山は高すぎて雲やら霧が多くて基本濡れます。
あ、これ、びしょ濡れで萎えた顔だったのか!
北海道も涼しめる場所ですが、少し遠い。
そんな時は富士山が超オススメですよ!
涼しみながら歴史を感じながら運動しましょう!
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!
最近はYouTubeも始めました。これから動画方面も攻めて行くのでぜひチャンネル登録・高評価よろしくお願いします!
江戸時代にあった「パンツをレンタルできるお店」とは?
こんにちは!夏は基本的に家ではパンツ一丁で生活しているしょう(@shos_history)です。
母親からは洗濯物が減ってエコだと言われています。
エコとは…
もしもパンツが見当たらなかった時、みなさんならどうします?
パンツパンツ〜♪
ん???
ない!
どこにもパンツがない!
じゃあ、レンタルしよう!
とはなりませんよね?
パジャマで撮るな。もろオフな感じ出すな!
多分パンツなかったらスーパーとかで買いますよね?
でも実は江戸時代はレンタルするのが普通だったんです!
パンツを…レンタル…?
ということで今回は江戸時代のふんどし、いわゆるパンツ事情について話します。
ふんどしをレンタルできるお店「損料屋 」!
江戸時代はリサイクル社会と言われるくらいに物を大切にしたり、使いまわしていました。
それくらいモノが貴重だったということです!
そんなリサイクル社会の中で、日用品の貸し出しをしていたレンタルショップがありました。
それが損料屋です!
当時の家って、大名とかお偉いさんクラスとか金持ちじゃなければ、長屋っていうめっちゃ狭い家に住むのが普通でした。
狭いから物なんて置けないんです!
もちろん、スペースの問題だけではなく江戸はすぐ燃えるからという理由もあるかもしれませんね。
「物が置けないけど、使うときもある!」
損料屋はそんな需要に応えたお店だったのです。
そんなレンタル日用品の中にふんどし、いわゆるパンツがありました!
江戸時代の人たちがパンツをレンタルする理由とは?
現代でパンツがレンタルできたとしても、レンタルしないですよね?
だって誰かが履いたパンツですもん!
買うのだって、今ならスーパーとかユニクロとかで1000円あれば3セットくらいは買えます。
でも実は、、、
江戸時代は高価だったんです!
ふんどし一枚で5000円くらいしたと言われています。
どんな素材使ったらパンツ一枚でそんな値段になるんだ…
正確にはふんどしが高いのはもちろん、ふんどしの元の布も高かったんです。
当時は自分の手で作っていたし、何より自動でやってくれるような機械もないので大量生産もできない。
だから高いのです。
納得…!
一枚5000円もするパンツ。あなたなら買いますか?
買わないですよね。
僕も間違いなく買いません。
だからレンタルするんですが、レンタルするのももちろんお金かかります。
レンタルするのに1000円くらいはしたそうで、5回以上借りるなら買ったほうがマシなレベルです。
それでも借りていたんです!
江戸時代の人たちって基本的にどこで洗濯するか知ってます?
外にある井戸です!
しかも共用です。
昔は水も貴重だったので、一家に一台の蛇口のようなものはありません。
井戸といえば井戸端会議という言葉があるように、昔は公共の水場に集まった女性同士で世間話をしていたんです。
だから井戸端会議なのか…
そんなところでプライドの高い侍が自分のパンツ洗えます?
さすがに無理鴎外だわ…
この井戸で洗濯したくないという心理的要因もパンツをレンタルしていた理由の1つかもしれませんね。
とは言ってもパンツを常にレンタルしていたわけではなく、ここぞという時にレンタルしていたようです。
それってつまり…?
基本は男女共にみんなノーパn…
え…えええええええ!?
合わせてトイレの歴史もどうぞ!
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!
最近はYouTubeも始めました。これから動画方面も攻めて行くのでぜひチャンネル登録・高評価よろしくお願いします!
おみくじを持ち帰っても意味ない時がたまにある!
どうも。主成分がおみくじの男しょう(@shos_history)です。
おみくじ引けるところに行ったらとりあえずおみくじを引いてます。
占うと言うよりはお土産感覚です。
なんかいろんな場所のおみくじを引いた時の記録があるのでよかったらぜひ!
そしておみくじは大凶とか凶とか悪いやつ以外は持ち帰ってます。
そんなある日の家…
ん???
一枚の何も書かれていないおみくじを発見しました。
よく考えていたら、確か東海道を歩いてたどり着いた京都で観光している時に引いたやつだと思い出したんです。
確か名前は…
と言うことで今回は下鴨神社の話をしつつ、おみくじを思い出してみようと思います。
おみくじを引いた神社「下鴨神社」!
下鴨神社は京都府京都市の左京区にある神社です。
正式には賀茂御祖神社
読みづらいし、文字を打つのも面倒なので以下下鴨神社で統一します。
本音が湯水のように漏れてる…
この下鴨神社は
※崇神天皇とは…
記録がたくさん残ってて実在していた可能性が高い最古の天皇。
ちなみにこの天皇120歳らしいんですけどね。
年齢おかしすぎだろwww
下鴨神社は京都の中で最古級の神社であり、世界遺産にも登録されています。
縁結びのご利益があってさらにパワースポットのようなのでぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
【ホームページ】
【MAP】
下鴨神社のおみくじ「水みくじ」!
下鴨神社を奥に進むと、おみくじの匂いがプンプンしてきます。
おみくじの匂いとは…
水みくじ?
とても気になる名前なのでススっとお店の中へ。
値段は300円。
結果を見てみると…
まっさら!
清々しいほどにまっさら。
ちょっとどうしようの迷子になってたら
やり方が書いてありました!
①から②までの購入の手順は終わりました。
あとは③④です。
どうやら近くの川に浸したら字が浮かび上がるシステムのようです。
なるほど。だから水みくじなのか!
早速、おみくじをひたすために近くの川へ。
この川は
土用丑の日に関する面白い記事があるので合わせてどうぞ!
土用が近づくとこんこんと水が湧き出るその様子から形取ったものがみたらし団子であり、みたらし団子発祥の地と言われています。
こんなところにみたらし団子の起源が…!
キャッキャッしながら浸している女性観光客を尻目に、登山家のような格好の不審者が写真を取りながら水におみくじを浸します。
持ってるのが大変なので、浮かせて放置していると…
なんか浮かび上がってきた!
末吉!
なんとも言えないこの微妙な結果…
凶ではないので持ち帰るんですが、
びしょびしょのおみくじどうやって持ち帰えればいいのか、2分くらい考えていました。
とりあえず水の力を利用して服にくっつけて天日干しする案が採用されました。
・
・
・
そして時は経ち現在。この記事の冒頭に戻ります。
おみくじを持ち帰っても意味ない時がたまにある!
ん???
何も書かれていないおみくじ。
そして思い出す④番…
おみくじは持ち帰っても意味がない時がたまにある!
まぁ貴重な体験と思い出として当分は残しておきます。
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!
最近はYouTubeも始めました。これから動画方面も攻めて行くのでぜひチャンネル登録・高評価よろしくお願いします!
草食動物界の将軍こと象の歴史を草食系男子が解説!
こんにちは!お久しぶりです!しょう(@shos_history)です!
今日のファッションは、
上がボーダー。
下もボーダー。
いわゆる、、、
シマウマファッションです!
これが噂の草食男子か…
戦国時代とか江戸時代なら間違いなく「かぶき者」とかボロクソに言われてますね。
草食界のファッション代表がシマウマだとしたら、草食界のドンはなんだと思いますか?
そう!
象です!
あの巨体はどこからどう見てもドンの風格です。親分です。
今や動物園に行けばほぼほぼいる象は、日本にいつからいたのか気になったので今回は草食界の親分こと象の歴史を草食系男子の僕が追っていこうと思います。
シマウマどこ行った?
草食動物界の将軍こと象は大昔は忙しかった!
水遊びしたり、草を武者武者(ムシャムシャ)食べたり、ゆったり生きている印象の象ですが、大昔は狩りの対象となったり、戦争に使われたりと、とても忙しかったんです。
あの巨体が迫ってくるのは割と恐怖…
草食動物界の将軍こと象が日本にやってきた!①
日本にはまだまだユーラシア大陸とつながっていた時に象はいたんです。
それに近い時代の話も合わせてどうぞ!
あ、いわゆるナウマンゾウとかそういうやつです。
暖かくなって「暑いもう無理」とか言って絶滅しちゃったんです。(多分)
「もう無理。溶けるわ…」って言ってる学生かよ…
それから日本で生きてる象を見る機会はなくなりましたが、その日は突然やってきます。
1408年。時は室町時代。
福井県のオバマにやってきた東南アジアの船に象が乗っていたんです。
大統領とか乗ってそうな船…
どうやら亜烈進卿(アラジン)とかいう東南アジアの偉い人が足利将軍への献上品の1つとして派遣した象だったのです。
なんかランプ持ってそう…
おまけ動物に孔雀とかオウムもやってきました。
ところで、献上品なので京都まで運ばないといけません。
どうしたか?
歩いてもらったんですよ!
あの巨体でしかも遅いやつ歩かして大丈夫?
大丈夫です!福井から歩いて約一ヶ月で京都に到着しました。
めっちゃ遅いやん…一ヶ月前の話なんて将軍絶対忘れてるよ…
で、将軍は貰った象をどうすると思いますか?
A.仲良く水遊び
B.騎馬戦始める
どっちも可能性あるけど…A!
答えはCの朝鮮の王にあげちゃうでした!
選択肢にないんだが…
将軍はせっかく貰った珍しい象を二年半くらいで手放しちゃうんです。
飽きたのかな?
多分金かかるし、よく分からないからだと思う。
草食動物界の将軍こと象が日本にやってきた!②
南蛮貿易が活発だった戦国時代にもやはり象はやってきています。
1574年には明の船に乗った象が九州にやってきたり、1597年にはフィリピンのマニラから秀吉宛に贈られてきたり、1602年にはベトナムから徳川家康宛に贈られたりしています。
でもどの象もあまり記録が残っておらず、最後どうなったのか分からないのです。
相当興味がなかったのかもしれませんね。
そんな中、記録にも残ってて有名なのが江戸時代にやってきた象です。
時は1728年。目安箱とか享保の改革でおなじみの将軍徳川吉宗の時代。
中国の商人がオスメスセットの象を連れて長崎に上陸しました。
上陸したらメスが3ヶ月ほどで死んでしまいます。
環境の変化とか日本の気候とかが原因なのかもしれませんね。
オスの方は頑張って江戸に向かいます。
さすがに今度は船よね?
もちろん徒歩です!
長崎から江戸は鬼畜すぎる…
時代が時代なら動物愛護団体出てくる。
それを言ったらSNSあったら炎上してる…
なぜ徒歩かというと、江戸時代は大きな船は禁止されてたし、そもそも頑丈な船作れないので仕方がなかったんです。
江戸まで歩くんですが、京都にも寄ります。
さすがの象でも京都は観光しておかないといけませんからね。
そして京都に着いた象は天皇に会う機会が出てくるんです。
でも象です。天皇は日本のトップです。
日本のトップに会うならそれなりの位が必要です。
象に日本の世界の位なんて無理無理。
貰えるんです。象が。日本の世界の位を。しかも天皇に会えるくらいの。
それが、、、
なんか想像以上にご立派な雰囲気の位もらってるwww
この象の位を頂点にした場合の簡単な図解がこちらです!
象偉すぎワロタwww
この京都滞在時、珍しい象を見ようと大勢の庶民も押しかけたようです。
無事に江戸に到着した御象は、将軍吉宗とご対面。
御象…
やっぱ偉いからね。個人的には御つけないとと思って。
天皇にも将軍にも会えた象とか日本の歴史を振り返ってもただ一匹こいつだけです。
江戸では珍しい象を見ようと象さんフィーバーが起こったそうです。
12年ほど汐留にある浜離宮で飼育されていたそうですが、「飼育代が半端ない」という理由で源助という人に払い下げられます。
飼育代相当高かったんでしょうね。
それにしても幕府が手を焼いた象を引き取る源助って何者?
源助はその象を使って見世物をしたりして金儲けに利用していたんですが、象が引き取った翌年に病死します。
なんか悲しいですね。
中野区にある宝仙寺にその時の象の牙が残っているそうですよ。
草食動物界の将軍こと象の日本での歴史はすごい!
何回も日本にやってきていた草食動物界の将軍こと象………いゃ象さん。
やってきたらすぐに朝鮮に飛ばされたり、九州から江戸まで歩かされたり、日本のブラック企業ぶりを散々目の当たりにしたことでしょう。
そんな歴史の影の部分は一旦置いておいて、
足利将軍や豊臣秀吉や徳川家康、徳川吉宗などそうそうたるメンバーが象を見ていたという事実が僕らの想像を掻き立てます。
どんな気持ちだったのか。
象を初めて見たときどう思ったのか。
そんなことを考えながら動物園に行って象を見るのも面白いかもしれませんね。
僕的にはよくわからんでかい動物が自分より格上になった時の殿様たちの気持ちが気になる…
絶対「切腹しよう…」って絶望してる…
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!
最近はYouTubeも始めました。これから動画方面も攻めて行くのでぜひチャンネル登録・高評価よろしくお願いします!
長所と短所のように歴史において光あるところに影は必ずある!
こんにちは。影の中を生きる(家から出ない)男しょう(@shos_history)です!
もちろんこのようにアルバイトのために光あるところへ一歩踏み出す事はしています。
なんだこの冬眠から出てきた動物みたいな感じは…
光あるところに影があるというのはよく聞くフレーズですよね。
太陽の光に照らされて日向になっている場所と、影ができている場所があるように良いことの裏には悪いことも隠れているというもの。
「光あるところに影はある」というフレーズが一番わかりやすいのは歴史です。
歴史上においては、悪名が轟いている人物もいれば、悪い噂が全然無いような人物もいます。
織田信長とか豊臣秀吉の悪い話はよく聞きますけど、徳川家康の悪い話って聞いたことあります?
もしかしたら家康の悪い話を僕が知らないだけで実は存在しているのかもしれませんが、それにしても聞かなすぎです。
逆に家康のめっちゃ良い話はよく聞きますよね?
歴史は勝者によって書かれるという大前提と勝者が正義である理論が存在するので、もみ消されてる可能性があるということです。
つ・ま・り!
歴史においては光あるところにおいて影は必ずあるのです!
ということで今回は歴史において光あるところに影は必ずあるということをいくつか例にあげて証明したいと思います。
光と影とか中二病の代名詞みたいな題名だな…
時代の変わり目における光と影!
今の元号は令和ですね。
この令和という時代にたどり着くまでに
鎌倉時代やら室町時代、
戦国時代を経て江戸時代から明治時代と、
確かにそこには多くの時代が存在していました。
どの時代も、前の時代で頑張った結果生まれた時代です。
例えば江戸時代。
江戸時代はその前の戦国時代という戦乱の世を経て、多くの犠牲を出して生まれた平和の時代です。
合わせてこちらの記事もどうぞ!
平和によって人の心に何が生まれたのかを解説しています。
織田信長や豊臣秀吉などが登場するものの、最終的には徳川家康が勝ち残り、江戸幕府を開きます。
まさに平和な江戸時代が光であるのに対して、多くの犠牲による平和の代償が影です。
明治時代も同じです。
欧米に負けない新しく強い国を目指した西郷隆盛や大久保利通が江戸幕府を倒して、江戸時代を終わらせて誕生させた時代が明治時代です。
この江戸時代から明治時代の過程でも戊辰戦争という全国規模の内戦が行われ、多くの犠牲を出しています。
江戸時代や明治時代だけでなく、どの時代も同じです。
多くの犠牲を乗り越えて次の時代に移っているのです!
まさに光あるところに影はあるということです。
歴史において光あるところに影は必ずある!
冒頭で「歴史は勝者によって書かれたもの」と言いました。
これは歴史の1つの本質です。
勝者によって書かれるということは都合が悪い影の部分は消されます。
僕らが知っている歴史、教科書に載っている歴史の裏にも別の歴史が隠れているのです。
つまり。
全ての歴史に何かしら影があるということです!
そう考えると「○○は悪いやつ!」という意見を押し付け合うのは不毛じゃありませんか?
ってか悪い影の歴史はどんな偉人でも持ってるので割り切るしかないです。
言うのは自由ですし、僕も言いますが、自分の意見を一方的に押し付けてあたかもこれが「絶対正しい」ように言うのは違うかもしれませんね。
だからこそ、その人物や歴史の良いところ、光を見てあげましょう。
まさに人の短所よりも長所の方をしっかり見てあげる。そんな感じです。
良い話しか聞かない徳川家康の歴史は誰かしらが絶対もみ消してるはずだな…
つまり徳川家康は絶対悪いやつ!
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!
最近はYouTubeも始めました。これから動画方面も攻めて行くのでぜひチャンネル登録・高評価よろしくお願いします!
日本人が真面目で勤勉な理由はめちゃめちゃ頑張った歴史にあり!
アンニョンハセヨ!
韓国帰りで軽いカルチャーショックを受けたしょう(@shos_history)です。
つい最近、完全なプライベートで韓国旅行に行ってきたんですが、日本と決定的に違うところを見つけてカルチャーショックを受けました。
それは、、、
色々とゆるい!
どゆこと?
まず日本だと電車は時刻表があって、その時刻表にある時間通りにほぼほぼ到着しますよね?
でも韓国には時刻表がないので、いつ電車が来るかわからないのです!
時刻表があるのが当たり前だと思ってた…!
終電が何時かもわからないので、夜遅くなってしまった日には結構焦りました。
もう1つはコンビニとかお店の店員の様子です。
日本の店員は忙しくても忙しくなくても黙々と立って仕事をしています。
韓国だと店員は座ってスマホをみているんです!
レジに人が来るまでは座ってスマホをいじってました。
日本だと見られない光景ですよね。
日本だと客か店に指摘されて怒られそう…
韓国がゆるいだけだと思ってたんですが、副業してるバイト先の友人が以前東南アジアに留学行った時に「コンビニで店員が普通にスマホいじってた」ことに驚いたと言っていたのを思い出しました。
つまり外国がゆるいのではなく日本が真面目なのです!
そして日本は真面目であり勤勉。
この外国との違いには間違いなく歴史があると思い、めちゃくちゃ調べて僕なりの考えがまとまったのでお話しします。
※あくまで僕個人の見解であり、考え方は多様です。その中の1つの考えだと思って聞いてください。
日本人が真面目で勤勉になった発端は江戸時代?
日本が鎖国とか言って引きこもっていた18世紀後半。
ヨーロッパ諸国はイギリスから起こったあるイベントによってレベルアップしたのです。
それが「産・業・革・命」!
機械化によってより便利になって、すごい物がたくさん作れるようになりました。
日本に産業革命の波がやってくるのはそれから100年ほど後になってから。
そりゃあ引きこもってたら置いていかれます。
でも、家から出なくても遊べる新しい遊びを考え出すように、日本でも独自の革命が起きていたんです。
それが「勤・勉・革・命」!
勤勉革命は歴史人口学者の速水さんという方が提唱しました。
速水さんが言ってることがあまりにも難しいので僕の方でお粥にします。
江戸時代に人口が増えに増えて、江戸なんて世界一の都市にもなってましたね。
その頃農村では、深く耕せる道具やお金で買う肥料の登場により生産力の向上を目指していました。
それでももともと狭い日本。
人口は増えても土地には限りがあります。
言い換えると人は大量に余ってるけど土地は余ってないということ。
それと同時に
「家畜(牛馬)も餌とか色々とコストが高いのでいらなくね?」
「その分俺らが働けばよくね?」
となってきます。
最小の費用で最大効率を目指してたどり着いたのが…
・
・
・
一人当たりの労働量を増やして、土地の生産力を向上させようということ!
一人当たりの労働量をどう増やすか。
それこそが長時間労働なんです!
その長時間労働によって生産力は向上し、庶民の生活に余裕が生まれます。
もちろん江戸時代が平和だったのも余裕を生む要因になっています。
その余裕が文化の発展に繋がっていくというのが不思議な歴史の縁ですね。
だいたいこんな感じのことを速水さんは言ってますが、僕流の解釈で噛み砕きすぎて原型がほぼないのはご了承ください。
とりあえず、日本人の真面目で勤勉な精神が江戸の農村から始まったのは分かりました。
でもこれだけじゃなさそう…と最近ふと思ったので、ここから僕の考え120%で話します。
日本人が真面目で勤勉になったのは鎖国と明治時代!
真面目で勤勉な精神が江戸の農村から始まったのは分かりますが、なぜ今まで続いているのか。
それがずっと引っかかってました。
でもその引っかかりはある日のSNSで解けました。
「すでに成功している人に追いつくにはその人以上に努力しないといけない」
このフレーズは今の時代どこでも聞きますよね。
そりゃあ、 Bさんが家を先に出たAさんに追いつくにはAさん以上に走って追いつくしかないですよね。そんな感じです。
算数の問題みたいなやつだな…
確かに今から始める人がその道の成功者以上に努力しないといけないというのは本質かもしれません。
でもこれに似たことって江戸時代から明治時代にかけての間にありませんでした?
そう!開国から文明開化の一連の流れです!
実は鎖国する前の戦国時代。
日本は軍事力において世界最強クラスだったと言われています。
そんな日本は「鎖国ー!」とかいって引きこもっている間に産業革命によってレベルアップした欧米(ヨーロッパやアメリカ)と力関係が一気に逆転しています。
その結果、幕末のペリー来航やらで日本は強気の抵抗なんてできずに終わったんです。
成功者の欧米に追いつくにはどうしたらいいか?
それがまさにめちゃめちゃ頑張ることだったのです!
だから明治時代に文明開化といって、殖産興業(機械化!的な)とか富国強兵(軍隊強くしよう!的な)とか言って近代化を進め、めちゃめちゃ頑張って欧米に追いつこうとしたんです。
第二次世界大戦で日本は敗北した後も、アメリカとかに追いつこうと頑張りました。
日本は常に先を越されており、どちらかというと追いかける側だった。
追いかけて追いつくにはめちゃめちゃ頑張るしかない!
めちゃめちゃ頑張っていた名残が今の日本人に残っているのではないでしょうか。
この江戸時代からの一連の歴史が真面目で勤勉な日本人を形成したのではないでしょうか。
僕はそう思いました。
みなさんはどう思いましたか?
ただ1つ言えることは、
真面目で勤勉なめちゃめちゃ頑張る日本人だったからこそ、ここまで日本が豊かで平和で暮らしやすい国になったということ。
それは紛れもない事実です!
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!
最近はYouTubeも始めました。これから動画方面も攻めて行くのでぜひチャンネル登録・高評価よろしくお願いします!