その人次第でモノの見方が変わるってフロイスさんが言ってる!(言ってない)
どうも!最近、捨てると投げるの違いで悩んでいるしょう(@shos_history)です。
言葉において、違いがよくわからないものってたくさんありません?
「捨てる」と「投げる」とか。
「発酵」と「腐敗」とか。
「そば」と「そうめん」とか。
最後のは明らかに違うな?
なんでほとんど同じ意味なのに言葉が違うんだろう…って思ったので今回も歴史を絡めながら紐解いてみようと思います。
せっかくなので皆さんにも悩みを共有してもらいますね!
モノの見方が変わる!
ではさっそく問題です!(デデン♩)
これは捨てる?投げる?
漂う日常感がすごい…
これは捨てる?投げる?
どうでした?
どっちもゴミ箱に向かって放ってるので同じ感じがしますよね?
強いていうなら飛ばしてるモノが違うくらいです。
僕には違いが全くわからないので、我らが広辞苑先生に聞いてみました。
OK!広辞苑!捨てるの意味は?(とブツブツ言いながら文字を打つ)
「不要なものとして物を手から離す」
「見放す」
「大切なものを投げ出す」
「しりぞける」
「出家する」
だいたい同じようなこと言ってるんだが…
別々に分ける意味とは一体…
まぁいろんな意味出てきましたが、一番最初に出てきた「不要なものとして物を手から離す」が基本でしょう。
では投げるも聞いておきましょう。
OK!広辞苑!投げるの意味は?(とブツブツ言いながら文字を打つ)
「遠くへほうる」
「柔道・相撲などで腕・腰の力で相手を倒す」
「身をほうり出す」
「すべきことを途中でほうりだす」
「物を捨てる」
相変わらずほぼ一緒のことを言ってますが、一番最初の「遠くへほうる」が基本でしょう。
と綺麗に次に行こうと思ったんですけど、
天下の広辞苑さんが物を捨てるって書いちゃってるんです!
つまり投げると捨てるは同じ意味ということです。
天下の広辞苑さんが言っているので異論は認められません。
なんたって、国語界の審判ですから。審判の判断は絶対です。
じゃあなんで言葉が違うんだろうか…って思ったんですよね。
そしたら、この謎のヒントになることをかの有名なルイスフロイスが言っていたんですよ。
その人次第でモノの見方が変わる!
ルイスフロイスは戦国時代に日本にやってきた「キリスト教いいよ〜!」って営業しにきたポルトガル人です。
戦国時代なのでもちろん、織田信長や豊臣秀吉に会ってます。
そんなフロイスは日本で自分が見たものを記録して本にしています。
代表作『日本史』は日本人ではない第三者目線で当時の日本の歴史が詳細に描かれており、今でも重要な研究材料です。
そんなフロイスの書いた数多くの記録の中に
「日本人は腐敗した魚の臓物をとても喜んで食べる」
とあります。
魚介類の身や内臓を塩漬けして発酵させたいわゆる塩辛のことなんですが、当時の日本では普通に食べられていました。
魚自体は日本人は昔から好んで食べていますよ。
塩辛といえば今でもご飯にのせて食べますよね。
そんな塩辛を食べていた日本人の様子を見たフロイスは
「げぇ…腐ってる魚の内臓を食べてるよ…」
って驚いたんです。
なんで驚いたか?
そんな文化がなかったからでしょう!
どう考えても、見たことないものを見て驚いている記述なので多分そういうことです。
日本では昔から発酵食品を作っていたし、食べていました。
納豆とか醤油とか味噌とか全て発酵食品ですよね。
発酵の文化を知らないフロイスは「発酵」を「腐敗」と見たのです。
これに関して食文化研究者の石毛直道さんは「発酵か腐敗かは人間側の価値観で決まる。人にとって有益なら発酵、不都合であれば腐敗とされる。」と言っています。
実は発酵と腐敗は同じ意味で区別はできません。
人間からみた価値観で言葉が変わるんです!
言い換えると、、、
その人次第でモノの見方が変わる!
ということです。
今回の場合は人間視点で食べられるものが発酵、食べられないものが腐敗ということでしょう。
フロイスの何気ない記述がヒントになりましたね。
実質フロイスが言って教えてくれたようなものです!
実質が無理やりすぎる…
フロイスサンキュー!
「その人次第でモノの見方が変わる」とすると、最初の僕の疑問が解決しそうですね。
ボールは投げたくなるから投げる。
鼻かんだティッシュは汚いから捨てる。
つまりそういうことです。
どれも入ってないんだが…
深いようで深くないようでちょっと深い話でした。
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