涙なしには語れない!プロジェクトY〜白菜とおじさんの野菜物語!〜
どうも!野菜×コラボイベントを無事に終えたしょう(@shos_history)です。
野菜コラボは終わったものの、まだまだインプットした野菜の歴史話がたくさん残っているので、出せるだけ出していこうと思います。
突然ですが、みなさんにとって鍋のお供といえばなんですか?
肉!
違う!
ねぎ!
違う!!
にんじん!
違うぅぅぅぅー!!!
白菜です!
そんな白菜ですが普通に誰でも食べられるようになってからまだ100年も経ってない意外と新しい野菜だったの知ってましたか?
そんな今は当たり前の白菜の普及の裏にある男の努力がありました。
プロジェクトY(某番組風)
風の中の〜♪
砂の中の〜♪
白菜と日本人の出会い!
白菜は原産国は中国であり、江戸時代の1866年か明治時代の1875年が最初とされて明確ではありませんが、その期間にやってきたのは間違いないです。
しかし、まだまだ広く普及はしていませんでした。
1894年の日清戦争の際に中国にいた現地の日本の兵士たちが白菜を食べてこう言います。
うまか〜!(絶対いってません。)
白菜の美味しさを知った日本人兵士は「持って帰って栽培したろっ!」とやる気満々に白菜の種子を日本に持ち帰りました。
この頃から白菜の種子をたくさん中国から導入して植えたのですが、、
え?どうゆうこと?全然白菜じゃないよ!
と困惑状態。
作っても作ってもできるのは白菜じゃない何かでした。
ある時はにんじんに…(そんなことはありえません)
ある時はタマネギに…(そんなことはありえません)
白菜ができない理由がわからないのでひたすら植え続けました。
そしてひたすら白菜じゃない何かが生まれ続けました。
そんな白菜ができない謎に気づいた人物がいました。
それが
白菜とおじさんの野菜物語!
おじさんは言いました。
「白菜はアブラナとか小松菜とかと同じタイプのやつだから合わさると別のができる!つまり、合わさるための花粉を運ぶ奴がいる!」
ハチだ!(逃走中のナレーター風)
そこでおじさんは思いました。
「ハチって海を渡れないんじゃね?離島で白菜栽培すればよくね?」
そこで宮城県の離島の一つ「
馬放島は宮城県の松島に位置します。
おじさんは馬放島に生えるアブラナ系の植物を全て排除しそこで白菜を栽培しました。
そしたらできたんです!
白菜が!
実に20年以上かかって気づき、そして出来上がった白菜でした。
こうして白菜がだんだん普及していったのです。
今、鍋のお供として白菜が食べられるのはこの沼倉吉兵衛というおじさんのおかげだったのです。
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