【東海道五十三次を歩く!9日目】道の途中で大名に遭遇したらめんどくさい
こんにちは。参勤系男子のしょう(@shos_history)です。
3月18日からついにスタートした東海道の旅略して一人参勤交代。
~これは現代文明(飛行機や新幹線など)があるにもかかわらず、それらを使わず東海道五十三次を自分の足で歩くというよくわからない企画の記録である~
今回は9日目静岡県の掛川市からのスタートです。
前回の8日目の記事を読んでいない方はこちらをチェックです!
東海道五十三次を歩く!「道の途中で大名に遭遇したらめんどくさい」
今日は掛川宿にある大池橋からのスタートです。
出典:Wikipedia
東海道五十三次の掛川宿と同じ構図で写真を撮ってみたのですが、やっぱり昔と今では見えるものが違いますね。
歩き続けていると東海道五十三次どまん中東小学校という学校を見つけました。
ネーミングセンスが絶望的にない…
校長が歴史好きだということは分かります。
一瞬ですが通ってみたいと思った学校でした。
途中で大名行列に遭遇しました。
カタツムリです!
彼らはこれから江戸に向かう大名行列でしょう。
あのペースだと余裕で10年はかかりますね。
いゃそもそも着くまえに天国の可能性が…
大名行列同士がすれ違うときには、その大名のランクで対応が変わります。
同格の場合は家老(大名の次くらいにすごい人)が土下座。
大名は乗ってる駕籠の戸を開けて「おっはー!」とお辞儀をします。
最終的に譲り合いの精神で通行します。
大したことがないやつには馬の上で帽子だけとって挨拶したり、馬から降りて一礼するくらいです。
相手が格上の場合は、大名も駕籠や馬から降りて敬意を表さないといけません。
大名で最高ランクの御三家(紀伊の徳川さん、水戸の徳川さん、尾張の徳川さん)にすれ違うと大名でさえも土下座をしないといけません。
なので、大名はみんなわざと隠れたり違う道を使ったりして御三家に遭遇するのを避けていました。
ジャイアンから逃げるのび太やスネ夫たちみたいな感じ!
現代も「上司にはどうたら〜」みたいなしょうもないマナーみたいなものがありますが、江戸時代は江戸時代でめんどくさいマナーがあったのです。
僕はカタツムリより格下なのでもちろん敬意を表して道を譲りました。
カタツムリより格下とは一体…
東海道五十三次を歩く!「名残り松はそこらへんの木とはオーラが違う」
こちらは袋井市の袋井宿です。
ここも公園となっているものの今も宿場のように休憩できます。
さらに進んだ木原一里塚にはちょうど石のベンチがあったのでお昼ご飯を食べました。
一里塚で休憩できるのも江戸時代の人たちの体験をしているようでワクワクしました。
東海道を歩いていると所々に松が生えていることに気付きます。
いわゆる名残り松といい、現代までずっと枯れずに生きていてくれていた松です。
この松も名残り松なのですが、やっぱ他の木とオーラが違います。
この松はここでどんな歴史を見てきたんだろうなーと思いました。
これからも枯れずに頑張ってほしいですね。
東海道五十三次を歩く!「浜松といえば浜松餃子」
そして今日の終点浜松に到着です!
と言っても浜松らしい写真は撮ってないんですけどね。
浜松は餃子が有名なようです!
餃子といえば戦後に中国にいた兵士が帰ってきて伝えた食べ物です。
浜松餃子は少し特殊で、円形状に焼いた餃子の真ん中にもやしがトッピングされています。
これは円形にして焼くのが当時はもっとも効率がよくたくさん焼ける方法だったからです。
真ん中にもやしがあるのは真ん中の穴が寂しいのでどうにかしようと考えた結果です。
その浜松餃子を生み出したのが石松餃子という餃子屋さんで、今回はその石松餃子の浜松駅店に行きました。
注文したのは餃子定食。
浜松餃子の特徴的な円形ではないものの、しっかりともやしはトッピングされてました。
そして餃子の中にはキャベツと豚肉がびっしり入っていました!
餃子といえばニラのイメージだったのでびっくりしましたが、むしろ食べやすくて美味しかったです。
今日は浜松まで約29km歩きました!
【10日目の記事】
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