【東海道五十三次を歩く!6日目】みかんとエビとがっつり歴史と
こんにちは。参勤系男子のしょう(@shos_history)です。
3月18日からついにスタートした東海道の旅略して一人参勤交代。
~これは現代文明(飛行機や新幹線など)があるにもかかわらず、それらを使わず東海道五十三次を自分の足で歩くというよくわからない企画の記録である~
今回は6日目静岡県の吉原からのスタートです。
前回の5日目の戦いを読んでいない方はこちらをチェックです!
東海道五十三次を歩く!「富士川と源平合戦の歴史たち」
今日のスタートはこの木から。
出典:Wikipedia
ここは実は、江戸時代に左富士といって東海道では珍しく左側に富士山が見えた数少ない場所の1つでした。
今はご覧の通り…
全く見えません!!!
左側に見えたらどんなに良かったかと思いながら歩いていると、、
「へいけごえ」と書かれた橋を見つけました。
どうやらこの辺りが源平合戦の時の有名なエピソードの1つ「水鳥の羽音」の舞台のようですね。
※富士川の戦いとは…
のちに鎌倉幕府を開く源頼朝たち源氏チームを倒すために京都からやってきた平氏チームによる戦い。
この戦いで水鳥の羽音を聞いた平氏チームは源氏チームの襲来と勘違いしてビビって敗走する。
この戦いののちに源氏チームに余裕が生まれ、平氏優勢から源氏優勢に変わる。
水鳥の羽音でビビるほど平氏の精神が弱っていたということでしょう。
確かに緊迫してる時にバサァってされたらビビるw
橋を写真に収めてますが、実はしっかりした石碑が近くにあったみたいです。(後日談)
そしてここが噂の富士川です。
この富士川を渡るのに昔は六文(90円くらい)かかっていました。
江戸時代もその時代に合った面白いビジネスをやってますね。
もちろんこの富士市にも一里塚はありました!
両方現存していて、しかも道幅が狭いのでしっかりと写真に収まってくれました。
何度も言いますが、一里塚は約4kmごとに置かれた目印&休憩スポットです。
東海道五十三次を歩く!「蒲原宿のなまこ壁!」
歩いてたらなんかあったんですよ。
常夜燈です!
常夜燈は江戸時代版の街灯のようなものです。
今の街灯ほど明るいわけではなさそうですが、無いよりはマシです。
多くが宿場町とか峠の入り口とかにあって目印になってます。
中を覗いてみたんですが、どうやって明かりがつくのかさっぱりでした。
この写真の石の上に油でも浸すんですかね?
あと、うっすらと「宿内安全」って書いてありました。
蒲原宿の中を歩いていると道の両脇にとても古そうな家がいくつもあるのを見ました。
この写真のワッフルのような模様の部分をなまこ壁と言います。
観光地で一度は見るやつ!
ワッフル模様の白い部分がどうやらなまこに見えることからなまこ壁と呼んでいるそうです。
僕には残念ながらなまこには見えません。
防火性、耐水性に優れているので、お城とかでも使われていました。
どうりで観光地で見るのか!納得!
東海道五十三次を歩く!「由比正雪と由比宿!」
蒲原宿から4kmほど歩くとまた宿場があります。
それが由比宿です!
由比といえば思いつくものが2つあります。
グルメの方はもちろん「桜えび」が思い浮かんだでしょう。
しかし、歴史好きの方は「由比正雪」という名前を思い浮かんだのではないでしょうか?
実は江戸時代初期に由比正雪によって江戸幕府存亡の危機となる大きな事件が起こっていました。
それが由比正雪の乱(またの名を慶安事件ともいう)です。
由比正雪って誰やねんという方が読者に多いと思われるので、いつものごとくめちゃくちゃ噛み砕いた説明を載せておきます!
※由比正雪の乱とは…
1651年に起きた江戸幕府転覆計画事件。
時代は江戸幕府によって「お前改易(いわゆるクビみたいなやつ)!お前も改易!お前は減封(いわゆる給料減額の給料じゃなくて土地が減るバージョン)!」と力を背景にして政治を行なっていた頃。
その改易やら減封によって職を失う人たちが急増した。
そのため各地に幕府に不満を持つものが多かった。
そんな様子を見ていた由比正雪は立ち上がろうとするが計画が事前に漏れてしまう。
そしてこの事件の後に、さすがに今までのやり方を見直す必要を感じた江戸幕府は最終的に法律とか学問で平和に政治を治める「文治政治」に政治の仕方を変えた。
要するに無職たちで溢れているこの状況をどうにかしろ!と立ち上がったのが由比正雪だったのです。
時代が時代だったらハローワークの窓口やってそう…
そんな由比正雪の生まれた家がこちらです!
染物屋さんだったんですね。
反対側には由比本陣跡がありました。
今は公園になってますが、当時の本陣の大きさが伝わってくるくらいに広いです。
どうやら由比という家はこの辺りでは結構な力を持っていたようです。
近くには馬の水飲み場がありました。
旧東海道を歩いていると度々登場するのがこの水飲み場。
昔の移動手段で最強は馬です。
参勤交代でも旅でも少なからず馬を使うので、その馬のための休憩スポットはあちこちにありました。
どうやら今は亀たちの休憩スポットのようです。
東海道五十三次を歩く!「由比の人たちめっちゃ暖かかい!」
お昼ご飯を探して歩いていると突然車に乗ったおばちゃんが「どうしたの?」と声をかけてくれて、なぜかみかんをいただきました。
青島みかんというそうです。
中にタネが入っているという今までに食べたことがないみかんでした。
種無しのみかんは江戸時代に突然変異で誕生しました。
今でこそ種無しみかんがメジャーとなってますが種ありもあるんです!
美味しかったです。ありがとう!おばちゃん!
お昼ご飯も無事に食べられました。
もちろん由比といえば桜えびですからね!
さっきまで由比正雪とか言ってたような…?
お店のお兄さんがビスコをくれました。
みかんといいビスコといい、色んなものをいただけて嬉しかったです。
由比の人たちマジであったけぇ…
東海道五十三次を歩く!「薩埵峠とみかん」
お昼ご飯も食べて元気2万倍になったので薩埵峠を登りました。
いわゆる東海道の難所シリーズの1つです。
ただ、ラスボス箱根をすでに経験し、しかも倒しているので全く屁でもありませんでした。
歩いているとみかんの木がたくさんありました。
もちろん竹も!
出典:Wikipedia
そしてここ薩埵峠は歌川広重の東海道五十三次に富士山が描かれるくらいにすごい景色が見れる場所なのですが、僕の行ったタイミングは曇り時々雨。
富士山のカケラも見えませんでした。
東海道五十三次を歩く!「みかんとエビとがっつり歴史と」
歩いていたらみかんをもらうという初めての経験に驚きと共に暖かさも感じました。
なまこ壁やワッフルも出てきたし、桜えびも美味しかったので、6日目はもはやグルメ回ですね。
今回は32kmほど歩き清水湊のある清水区江尻というところまで来ました。
有名どころだと三保の松原も清水区ですね。
【7日目の記事】
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