『紅茶王に俺はなる!』とか言ってそうなリプトンという人の話。
富、名声、紅茶。
この世の全てを手に入れた男、紅茶王トーマス・リプトン。
彼の死に際に放った一言は人々をコンビニへと駆り立てた。
「俺の紅茶か?欲しけりゃくれてやる。探せ!この世の全てをそこに置いてきた。」
人々はリプトン紅茶を目指し、夢を追い続ける。
世はまさにティータイム時代!
デ〜デ〜デデデ〜♪
ありったけの紅茶をかき集め〜♪
どうも、ちょっとグランドラインにリプトンの紅茶を買いに行っていた歴史王(笑)のしょう(@shos_history)です。
ここまでワンピースのパロディネタで進めてしまい申し訳ありません。
もしワンピース知らなくてよくわからなかった方は、ワンピースの第一話を漫画や動画でチェックしてみてください。
ティーパーティーをしてから紅茶の歴史が気になってしまって今回も紅茶回です!
冒頭に出てきたんですが、ちょっと昔に『紅茶王』と呼ばれたトーマス・リプトンという人物がいました。
なんか聞いたことありません?
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そうです。このお馴染みの紅茶メーカー「リプトン」の生みの親です。
今回はそんな「紅茶王トーマスリプトン」について軽く話していきます。
※いつものごとくめちゃくちゃ噛み砕いて、現代風にしてわかりやすく話すので、史実と違うこともあるのはご了承ください。
リプトン、自分の名前の店を出す!
1850年(日本は江戸時代の終わり頃)にイギリスのスコットランドに生まれたリプトンは21歳にして自分の名前がついた食料品店「リプトン・マーケット」を開きました。
リプトンはかなりビジネスがうまかったと言われています。
例えば、ユニークでジョークのきいたマンガのポスターを設置することによって、わざわざこのポスターを見るためだけにお店に人が集まったと言います。
ちなみにマンガのポスターは週替わりで展開して、しかも一流のマンガ家に依頼していました。
他にも巨大チーズの中に金貨を入れたりするなどの斬新なアイデアで一躍有名になりました。
リプトン、紅茶に目をつける!
リプトンは1880年代ごろに紅茶が気になり出します。
この頃はすでにイギリスによる「紅茶は全て俺のもの!」というジャイアン的な紅茶独占状態が終わっており、自由競争となっていたため普通に紅茶が出回っていました。
イギリスと紅茶に関して詳しくはこちらをチェックです!
人気店となっていたリプトンのお店に「どうです?こちらに我が社の紅茶おきませんか?」という営業をかけてくる紅茶の業者が多くいました。
しかし、リプトンは気付きました。
「中間業者を通さないで直接仕入れたほうが安く済むんじゃね?」
間違いなく正論でした。
中間業者がいるとそっちに手数料とか色々なお金が飛んでいって結果的に紅茶が高くなりますから。
ということでリプトンは輸入業者から直接仕入れて販売することによって安く紅茶を提供し、それまで貴族とかお金持ち専用だった紅茶を誰でも飲めるようにしたのでした。
リプトン、セイロン島に上陸し本気モード!
リプトンは1890年にセイロン島(いわゆるスリランカ)に上陸し、そこのウバ(茶葉の一つ)茶園を買い取り、紅茶の栽培経営を開始しました。
茶葉の栽培から生産まで一貫して行う体制ができ、「茶園から直接ティーポットへ」というキャッチコピーで世界各地で販売。
今もリプトン買うとキャッチコピーが書いてありますね!
で、いつの間にか紅茶で有名になりました。
1895年にはリプトンの紅茶が「英国王室御用達」(イギリス国王も愛する紅茶)となりました。
1905年に日本に初めて紅茶が輸入されたのですが、その紅茶は実はリプトンでした。
リプトンは紅茶を一気に広めた紅茶王!
今やどこでも見ることができるほど有名なリプトンメーカーとその紅茶シリーズ。
自分もレモンティーやピーチティーでお世話になっています。
紅茶を低価格で飲める今があるのはトーマス・リプトンという『紅茶王』のおかげなのかもしれません。
よし、紅茶花伝買いに行こうっと!
いゃ、それコカコーラ社の製品…
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