紅茶が世界を変える引き金になっていた衝撃の事実!
どうも、紅茶大好きなしょう(@shos_history)です。
前回は家に紅茶がたくさんあったのでティータイムしながら紅茶のちょっとした歴史などを紹介しました。
まだ読んでいない人はぜひ読んでおいてください!
紅茶がある歴史に大きく関わっているんですが、なんの歴史に関わっているか分かりますか?
・
・
・
実は、アメリカが独立した話に紅茶が大きく関わっていたんです!
え、アメリカの独立と紅茶になんの関係が?
と良い反応をしてくれたあなた。
これからいつものごとくものすごく噛み砕いてお話しします。
紅茶を飲みながらこの記事を読むのも面白いかもしれませんね。
紅茶はお茶からできた!
まず大前提の話として、紅茶の誕生についてです。
お茶自体は中国で大昔から薬として利用されていました。
飲み物として普及しだしたのは6世紀以降と言われています。
日本でお茶が飲まれた記録が登場するのは815年です。
いわゆる平安時代の始め頃です。
当時のお茶は緑茶で、紅茶はお茶を発酵させていたら「なにこれ?お茶じゃないのできたぞ!」という感じで生まれたようで、正確な歴史は分かっていません。
ヨーロッパに最初に伝わったのは紅茶ではなくお茶!
ヨーロッパにお茶が伝わったのは17世紀で、大航海時代によって中国や日本にやってきて初めてお茶が持ち帰られました。
しかし、当時持ち帰られたのは紅茶ではなく緑茶でした。
紅茶の歴史は曖昧な部分が多く、いつの間にかヨーロッパで紅茶が飲まれるようになりました。
イギリスの貴族たちに中国茶と砂糖のセットという贅沢習慣が流行り、「全て俺のもの」というジャイアン的発想から「紅茶やべぇから独占したろ!」となり、中国からの茶の輸入を独占しました。
紅茶とアメリカ独立の意外な関係性!
当時イギリスの植民地であったアメリカにも紅茶ブームがやってきます。
めちゃくちゃ流行ったので「税金高くしても買うやろ!」と思ったイギリスは紅茶に高い税金をかけて売ろうとしました。
タバコとかと同じでいくら高くても必要なものなら買うだろ理論です。
するとアメリカの人々はイギリスから紅茶を買わずに、オランダとかの他の国から紅茶を密輸して買ってました。
持っている紅茶が全く売れなくなり在庫が溢れてきたイギリスは最後の手段に出ます。
「密輸業者やアメリカの商人より紅茶を安くして貿易も独占したろ!」
これにはさすがのアメリカ人たちも「ふざけんな!」と我慢の限界でした。
そして事件は起こります。
1773年(日本は平和な江戸時代中頃)アメリカのボストン港という港に停まっていた紅茶を積んだイギリス船をアメリカ人たちが襲撃し、
「ボストン港をティーポットにしてやる!」
と叫びながら、積まれていた紅茶を港に投げ捨てたのでした。
流行語狙ってるだろこれ…
さぞかし大きなティーポットになったんでしょう。
これが世に言う「ボストン茶会事件」です。
この一連のイギリスからの紅茶に抵抗していたアメリカ人は抵抗姿勢をさらに見せるためか紅茶に変わってコーヒーを飲むようになり普及していきました。
そしてこの事件を機にアメリカは独立を目指していくことになったのです。
再びアメリカで紅茶が普及するのはリプトン紅茶がやってきてからです!
紅茶が世界を変える引き金になっていた!
紅茶がまさかのアメリカ独立に大きく関わっていましたね!
もはや世界を変える引き金になってます。
ってかイギリスがもはや紅茶版ジャイアンです!
今やイギリスといえば紅茶のイメージ、アメリカといえばアメリカンコーヒーと言うくらいコーヒーのイメージが強いのですが、このイメージは一つの事件からきていたのです。
紅茶先輩!一生ついていきます!(コーヒーは苦くて飲めない)
苦いって子供か…
twitterやってます。わかりやすく面白く歴史を日々発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!