【東海道五十三次を歩く!2日目】川にも木にも公園にも歴史がある!
こんにちは。足が日々痛いしょう(@shos_history)です。
3月18日からついにスタートした東海道の旅略して一人参勤交代。
~これは現代文明(飛行機や新幹線など)があるにもかかわらず、それらを使わず東海道五十三次を自分の足で歩くというよくわからない企画の記録である~
前回1日目の記事を読んでいない方はこちらをチェックです!
今回は2日目保土ヶ谷スタートからの話です!
東海道五十三次を歩く!「一里塚は休憩スポット」
全世界の皆様、おはようございます。
早めに起きないと歩く距離が変わってくるので、朝が苦手ですが仕方なく早起きをしてます。
え?何食べてるって?
朝食のブラックサンダーですよ!おまけにポカリです。
僕が今いるのは横浜の品濃一里塚公園という場所です。
一里塚とは、4kmごとに道沿いの両端に置かれた江戸時代の旅人や参勤交代の大名たちにとって目印になるものです。
その一里塚には木が一本生えており、木陰で旅人たちは休憩したといいます。
つまり休憩スポットです。
その休憩スポットが役割は変わらず、公園に姿を変えて今も存在しているひとつが品濃一里塚です。
そんなところで僕はブラックサンダーとポカリを飲み食いしているということです。
江戸時代から今にかけて一里塚でブラックサンダーとポカリを飲み食いしている人はいないはずなので一番乗りですね。
なにも嬉しくない件について…
ちなみにこの品濃の一里塚は両端二つとも残っているという点がすごいポイントです。
だいたいの一里塚はひとつ残してもう片方を取り壊しています。
どう考えても現代においてはいらないですもん。
なので両方現存しているのはすごいことなんです!
東海道五十三次を歩く!「いつの間にか大阪にいたり、原宿にいたり」
めっちゃ必死に歩いていたら…
急に大阪が登場します。
説明文読む限りでは大きい坂という普通の意味でつけられたのでしょうが、、
2日で東京から大阪までいけたとしたら化け物どころの騒ぎじゃないです!
なんていいながら歩いていると今度は原宿に着きました。
スタートに戻ってる…
どうやら元々が原っぱだったところに宿(駅)ができた場合は大体「原宿」になるようです。
つまり東京の原宿も元々は原っぱ出身です。
さらにいうと、〇〇原とか原がついていれば元々原っぱだったということでもあります。
自分の地元から原がついている地名があるか探してみましょう。
東海道五十三次を歩く!「寝不足で橋を渡るのは注意」
東海道沿いに益田家のモチノキという木がありました。
樹齢250年ほどの木のようです。
最初は「餅がなるのかな」とか「益田家って誰やねん」と思ってましたが、そんなことはどうでもいいんです。
そこに江戸時代から立っていたということがすごいんです!
東海道沿いに立ってるということは旅人や大名までほとんどの江戸時代を生きた人が見ているし、同様に木も歴史を見てきているということでもあります。
そう考えたら「すごいなー」と思うと同時に、「江戸時代ってどんな感じだったんだろう」と聞いてみたくもなりました。
東海道五十三次を歩く!「寝不足で橋を渡るのは注意」
みなさん眠いですか?
眠いときに橋渡ってたら落馬しちゃいますよ!
いゃそもそも馬に乗るシチュエーションがない…
ということで相模川にやってきました!
別名「馬入川」ともいいます。
馬入川の由来は鎌倉幕府を開いた源頼朝がこの橋を渡ろうとして落馬し、馬が溺れて死亡したからです。
ちなみに源頼朝も落馬の怪我が原因で死亡してます。
昔の人はこういう基本解決できないことは祟りのせいにしがちですが、これももちろん祟りのせいにします。
「義経の祟りだ!」なんて言って義経が悪いように書かれています。
事実を変えて敗者の印象を悪くするのはいつの時代も勝者の特権です。
間違いなく寝不足なんですけどね…
その結果、橋を架けるのは不吉ということで船で渡るのが普通になりました。
運賃は12文です。
時代によってお金の価値は違いますが1文=15円だとすると、180円です。
電車の運賃と同じくらいですね。
東海道五十三次を歩く!「川にも木にも公園にも歴史がある!」
2日目に学んだことは川にも木にも公園にも確かに歴史があるということです。
僕らの身近な自然なものにもしっかり歴史があって、それが意外と有名な歴史に繋がっている可能性もあるのが面白いですね。
今回は約30km歩き、平塚まで来ました。
明日は平塚スタートです。
【3日目に関連する記事】
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