【東海道五十三次を歩く!15日目】鈴鹿峠の範囲は分からんが、江戸時代の人の気持ちは分かった!
こんにちは。参勤系男子のしょう(@shos_history)です。
3月18日からついにスタートした東海道五十三次の旅略して一人参勤交代。
~これは現代文明(飛行機や新幹線など)があるにもかかわらず、それらを使わず東海道五十三次を自分の足で歩くというよくわからない企画の記録である~
今回は15日目三重県の亀山市からのスタートです。
前回の14日目の記事を読んでいない方はこちらをチェックです!
東海道五十三次を歩く!「さらば関宿!目指すは鈴鹿峠!」
東海道を歩く旅を始めてここまで会話っぽい会話はほとんどしていませんでした。
由比宿の時くらいですね。
なので、この宿で色んな人たちとわいわい会話ができて楽しかったです。
出発して振り返ると、昨日から一緒だった店主と旅人たちが手を振ってくれていました。
ありがたいですね。
そのままかなり歩いて後ろを振り向いたんですよ。そしたら、
まだ手を振ってくれてたんです!
旅人宿石垣屋、関宿、ありがとう!
そして江戸時代にタイムスリップしたかのような関宿を抜けて目指すは鈴鹿峠です!
東海道五十三次を歩く!「鈴鹿峠の範囲が分かりづらい!」
僕的にはここら辺かなと思ったところがあるんですよ。
ほら!
なんか雰囲気ありません?
ここだと僕は思ってて、めっちゃブログ記事用の写真撮ってました。
いわゆるジョジョ立ちをしてこれから難所「鈴鹿峠」倒します的なやつです。
※ジョジョ立ちとは…
ジョジョの奇妙な冒険というアニメ漫画に出てくるキャラクターの独特的な立ち方をジョジョ立ちという。
とにかく独特的なため、再現できるの?ってレベルのものもたまにある。
そして実際に撮った写真がこれ。
"顔が写ってない!"
もう一枚がこちら!
"絶妙に顔が写ってない!"
カッコつけたポーズを決めてるのに顔が写ってないほどカッコ悪いものはないです。
鈴鹿峠だと思いながら歩いていると、
日本橋、品川…と書かれた柱が出てきました。
その柱は東海道五十三次の全宿場の名前が彫られて順番に並んでいました!
まさに走馬灯のようでした。
死んだことないだろ…
こんなに歩いたんだな!と振り返れる場所で感慨深かったです。
最後の京都三条大橋の柱。
僕はここを目指すんです!
そしてとうとう鈴鹿峠の入り口に到着!
と思ったら…
ここも違ったようです!
雰囲気完全に峠やん!
見た目だけで判断してはいけないということでしょう。
鈴鹿峠に見えた謎の山道を越えるとやっとありました!
正真正銘「鈴鹿峠」です!
しっかりもう一度ジョジョ立ちをかまして、いざスタートです。
写真見て思うのは、、、
ジョジョ知らない人が見るとただの中二病こじらせた人にしか見えない…
ジョジョに関連の記事も書いてるのでぜひ読んでみてください!(完全に中身は歴史なのでジョジョ知らなくても大丈夫です!)
さっそく、馬の水飲み場がありました!
昔はここを馬も通っていたということでしょう。
ゴール!
は?
いゃゴールです!
端折り過ぎてない?さすがにもう少し実況しないと!
いゃ終わったんです。
終わった…
(以下僕の心の声)
この時まで鈴鹿峠=最後の難所=厳しい戦いだと思ってたんです。なので身構えて歩いてたらいつの間にか鈴鹿峠が終わってたんです。
つまり写真撮るタイミングを逃したんです!
実は前日に泊まった「旅人宿 石垣屋」でも言われてたんですよ。
「鈴鹿峠は大したことない!」
でも東海道三代難所の1つであり、東海道最後の難所なので、絶対厳しい戦いになると思っていたんです。
肩書きを鵜呑みにしてしまっていたんです!
蓋を開けてみたら本当に大したことありませんでした!
おかげさまで何にも写真撮れてないです!
ただ、鈴鹿峠は江戸時代の頃は難所と言われていたのは間違いないようです。
今みたいに道が整備されていないし、山賊(山に潜んで悪さするやつ)がいたともいうので、確かにここは難所だったんでしょう。
山賊といえば小谷の中山にも悲しいエピソードが。
とにもかくにも、鈴鹿峠の範囲が終始わかりませんでした!
東海道五十三次を歩く!「甲賀と言えば忍者」
作った人が現代にいたら間違いなくジェンガ上手そうな常夜燈(江戸時代の街灯)を見つけました。
すごい絶妙なバランスやな…
そして滋賀県入りです!
甲賀に入ったらさっそく、
犬に吠えられました。
番犬ガオガオをやってる気分です。
今回東海道を歩いていてやたらと吠えられるんですよね。
東海道沿いに番犬多い説あります!
甲賀市に入った途端に変な標識が出現します。
目が死んでる少年たちの標識です。
こんな不気味な標識がいたるところにありました。
不気味だけどなんかちょっと腹たつ顔してます。笑
ここは海道橋といい、昔は通るのに三文(1文=15円とすると45円)取られていたそうです。
橋でさえ金取られる時代なのか…
この時代は川がビジネススポットだったのかも。
ただし、取られるのは旅人とかくらいで幕府に用がある人、武家の家族、毎日橋を渡って生活しないといけない近隣の百姓は無料でした。
出典:Wikipedia
ちなみに東海道五十三次でも描かれてる橋です。
この橋を渡りきると、急に神社の雰囲気が出てきます。
それもそのはず、東海道が神社の境内を通っているのです。
なんかすごい…
そしてそして道の駅に着きました。
僕は今回初めて道の駅を体験するまで、ずっと道の駅=田舎の無人駅か何かだと思ってました。
休憩したり食事ができる施設のことを道の駅と言うんですね。
ここで昼休憩ということで、「かやくセット」といういかにも物騒な名前のものを注文しました。
やってきたのは名前とは真逆にとても優しそうな料理でした。
爆発の心配はないな!
とり五目のようなものに、うどん、大根の煮付け、たくわんのセットです。
よく考えたらここは甲賀でしたね。
甲賀といえば忍者ですよね。
だから忍者をイメージできる「かやく」という名前が使われているんですね。
ちなみに甲賀の読み方は「こうが」ではなく「こうか」が正しいようです。
それは初めて知った!
Me too…
甲賀忍者の始まりは戦国時代の六角氏という家の侍が始まりとされています。
つまり立派な武士だったのです!
普通の武士とは違い、山中でのゲリラ戦を得意としたり、薬売りとかをしながら各地を歩いて情報収集をしていました。
薬売りをしていた名残で、今でも甲賀市には製薬会社が多いそうです。
みなさん、忍者=黒装束を思い浮かべますよね。
実は忍者は黒装束なんて着ていません。
忍者のメインの仕事は実はスパイとして情報収集することです。
だから先ほども言った通り、薬売りをしながら、時には農民の服装に変装して各地で情報収集してました。
意外にイメージとは違う部分が多いですね。
話が手裏剣のように逸れましたが、かやくセットはとても美味しかったです。
東海道五十三次を歩く!「水口と曳山祭り」
続いてやってきたのは甲賀市にある水口宿です。
水口宿を歩いていたら、
この機械が突然音楽とともに動き出しました。
水口のからくり時計です!
なんか中で祭りっぽい雰囲気になってる…
実は水口のご当地祭り"
曳山とは祭りの時に引いたり担いだりする出し物のことです。
神輿とかも曳山ですね。
水口の曳山祭りは江戸時代の中頃、この町の人たちの力によって誕生しました。
歴史が引き継がれてますね!いいですね!
このからくり時計は一定の時間帯に始動するようで、僕は偶然そのタイミングに通ったため、カラクリが始動するところを見ることができました。
運が良かったです。
水口宿の出口に向かっていたら、なんか石が置いてあったんですよ。
力石です!
ここにも力石ありました。
ここの場合はしっかりと「水口石」という名前になってました。
この石は前回の力石と違い、江戸時代から知られている石です。
なんともないただの大石も、力くらべに使われることで歴史名所になるんです!
江戸時代の娯楽の無さ…
ゲームがある現代マジ最強!
東海道五十三次を歩く!「地方は暗すぎる」
すっかり暗くなりましたね。
いゃ、暗すぎだろw
これは19時現在の甲賀市の写真です。
東京なら全然明るい時間帯ですが、甲賀市ともなるとご覧の通り、
宇宙ですね!
宇宙の方が明るい可能性…
写真を見ての通り、まだ車のライトと一軒のコンビニか何かの電気がついてるので100%の真っ暗ではありません。
この少しの光が消えた状態が江戸時代の夜だとすると、昔の人が夜は出歩かない理由が見えてきますね。
怖すぎます!
足元すらスマホのライトつけないと見えないです。
江戸時代まではこれ以上暗くて、山賊やら辻斬り(道端で人を切ってる人)がいる治安の悪さですから、外に出たら命がないですね。
平成で良かった!
そんな暗闇の中、しっかりと照らしてくれていた奴がいました。
常夜燈です!
もう東海道五十三次を歩くシリーズではなんども登場するお馴染みの歴史名所ですね。
この常夜燈はかなりでかいですが、それもそのはずで、
東海道最大の常夜燈なんです!
真っ暗な中に1つあった常夜燈。
江戸時代の人たちの気持ちが分かった気がします。
常夜燈最高!ありがとう!
今日は約35kmを歩いて、甲賀市まで来ました!
明日は琵琶湖のある滋賀県に突入です!
【16日目の記事】
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