歴史の教員免許を持つ歴史好きが教える!古代のゴミ捨て場「貝塚」とは?
どうも野菜×歴史のコラボが近づいているというのに野菜の歴史ではなく魚貝類の歴史をインプットし出したしょうです。
今のゴミ捨て場は地域によって様々ですが「月・水・金に収集します!」みたいな感じであり、そこにゴミを置いておけば勝手に持っていってくれます。
家庭用のゴミじゃなくても普通に歩いていればゴミ箱は無限にありますよね。(無限ではない)
今みたいな便利なアイテム「ゴミ箱」とかあるはずのない縄文時代とか古代の人たちはゴミが出たらどうしてたのか気になりませんか?
実は古代には「
今回はそんな古代のゴミ捨て場事情について話します。
貝塚 って?
簡単にいうと貝塚とは古代の人々のゴミ捨て場のことです。
貝塚という名前にしているだけあり貝殻のゴミがメインになってます。
当時の人々は貝殻のゴミができたら決めた場所に捨てていたようです。
ゴミ収集車的な役割の人でもいたのかな?
絶対いない…!
貝塚の置いてある場所!
現代はゴミ捨て場といえばそこら中に置いてありますが、古代のゴミ捨て場「貝塚」はそこら中にはなく決まった場所にありました。
決まった場所は沿岸沿いのことです!
東京湾や大阪湾や仙台湾など色々な湾がありますが、その沿岸には無数の貝塚があります。
共通することはただ一つ、海に近いということです。
氷河期が終わり温暖な気候になった頃、日本列島は大陸から切り離されて一つの島国となりました。
それによって誕生した日本海と太平洋には暖流と寒流がちょうどぶつかる場所があり魚がたくさん採れる好漁場となっていたのです。
日本と魚について気になった方はこちらをチェックです!
もちろん魚だけではなく貝も採取されていました。
温暖になったことで森林が増え、そこから採れる木の実なども豊富でした。
そうなれば「今日の飯はあのデカイ象だぞ!絶対に逃がすな!」と言いながらナウマン象と死の鬼ごっこをしていた頃とは違い獲物を追う必要はありません。
獲物を追う必要がなく、動かなくても周りに食料がいっぱいあるんですからそりゃ定住します。
そうなればゴミ捨て場もできてくるというわけです。
モースと貝塚の発見!
貝塚が本格的に認知され出したのは1877年にモースが東京で大森貝塚を発見したのが始まりです。
動物の研究をしに日本に来て電車に乗っていたら偶然窓から貝殻が積み重なっているのを発見して見つかったようです。
このモースとかいう人ラッキーすぎる説…
「ナンカ貝殻いっぱいアリマセンカ?」とか言っていたのでしょう!
普通の人なら「あー貝殻いっぱいあるなー」で終わるはずのものなのにそれを調査までするんだからモースさん半端ない!
ちなみにモースさんが東京で棚からぼたもち的な感じで貝塚見つけた頃、鹿児島では今期の大河ドラマ「西郷どん」の主人公の
貝塚は古代人の生きた証!
貝殻が主にたくさん捨てられてるゴミ捨て場「貝塚」。
それは日本が島国であったことと温暖な気候であったことなどの偶然の産物です。
どれかがかけていたら貝塚なんてなかったでしょう。
その貝塚のおかげで大昔の日本人の生活がわかると考えたら、まさに貝塚は古代人の生きた証そのものです!
1000年後くらいには今あるような「ゴミ箱」が遺跡になって「生きた証」となっているかもしれませんね。