歴史の教員免許を持つ歴史好きが教える!お月見と里芋の関係とは!
どうも、お月見という行事を一回もしたことがないしょうです。
お月見といえば何をお供えするか知ってますか?
もちろん「団子」ですよね?
実は昔は団子ではなく「里芋」をお供えしていたと言われています。
なんで団子じゃなくて里芋なの?
という疑問が出てきたと思うので今回は月見の謎にも迫っていきたいと思います。
この記事を読んだらぜひ月見の季節のひとネタとして使ってあげてください。
学校では習わない面白い歴史をどうぞ!
お月見とは?
そもそもお月見が何かわからないと話についてこれないと思うので、先に説明しちゃいますね。
お月見とは旧暦(昔の日にち)でいう8月15日、今でいう
もちろん旧暦に該当する日なので毎年日にちは変わります。
今年2018年はカレンダーを見たところ9月24日(月)です!
この日になると月に見立てた月見団子という団子とススキをお供えします。(都会はもうほとんどやってなさそう…)
昔のお月見は里芋を供えていた!
今は団子をお供えしますが昔は団子ではなかったようです。
そもそも月見はただ月を眺めて楽しむ青春イベントではありません。
じゃあどんなイベントか。
その時代の食生活を象徴するもの、つながりが深いものをお供えして、収穫を感謝をするイベントだったのです。
そのため昔お供えされていたものは「里芋」だったと言われています。
お米じゃないの?
となるかもしれませんが安心してください。
里芋です!
なぜなら、里芋は稲作文化(お米)がやってくる前の縄文時代に東南アジアなど南方から日本に伝わっていた主食に近い食料だったからです。
里芋がお供えされていた可能性が高い理由は二つあります。
一つ目は旧暦の8月15日を「
十五夜の夜は芋を収穫して感謝していたから「芋名月」なのかもしれません。
もう一つは江戸時代のお月見事情です。
江戸時代の8月15日は必ず里芋を煮て食べていたと昔の本『
その本は色々な食物について書かれていて果実酒も載っていました。
昔の果実酒について気になった方はこちらをチェックです!
江戸時代の末期には今の月見に近くなったのか団子を供えたようですが、その団子は里芋に似せて作っていたようです。
里芋はお米の先輩!
お米が伝わる前にすでに日本に伝わっていて、ずっしりと居座っていた里芋先輩。
いつの間にか新参者のお米さんに主食の座から引きずり降ろされていますが、それでも昔の主食だったことはほぼ間違いのない事実です。
今の現状じゃ考えられないですね。
だって、里芋の煮物くらいしか食べる機会ないですもん。
このお月見の季節に里芋を食べる流れはまだ残っていますが、それにはまさかこんな深い理由があったなんて誰が想像していたでしょうか。
今回言いたいのはお月見と里芋が関係していたこと、里芋をなめてはいけないぞと言うことの二点でした!笑