第1回歴史流行語大賞のまとめと気づいたこと!
こんにちは。しょう(@shos_history)です。
12月といえば毎年、その年の流行語を決めるイベントが行われますよね?
そう!流行語大賞です!
今年の流行語には、「そだねー」や「eスポーツ」や「大迫半端ないって!」など聞いたことがある言葉が続々とノミネートしていました。
そこで思いました。
歴史の流行語大賞あっても良くない?
ということでtwitter上で歴史流行語大賞2018を開催し、たくさんの歴史用語を集めました!
今回はそれを集計してまとめて、軽く解説しながら気づいたことなどを話していきます!
第1回歴史流行語大賞とは!
歴史流行語大賞とは歴史関係の用語ならなんでも推薦OK!という企画です。
なんでもOK!なので真田丸に出てきた「黙れ!小童!」とかのフィクション系もありです。
とにかく歴史が関係すればいいのです!
今回は一人3つまで知っているか好きな歴史関係の用語を推薦してもらい、それを集計して人物、時代、用語の部門に分けて順位をつけてました。
例えば、「敵は本能寺にあり!」という言葉であれば、人物部門では明智光秀に1票、時代は戦国時代に1票、用語は「敵は本能寺にあり」で1票という感じです。
今回初めて流行語大賞企画をしましたが、多くの人に参加していただき、多くの推薦が届きました。
ありがとうございます!
とりあえず、ノミネートされた歴史用語をまとめてみました。
みなさんが聞いたことがある歴史用語はあったでしょうか?
僕は知らない用語ばかりで勉強になりました!笑
気になった用語があればこの機会に検索してみましょう!
この表を参考に人物部門、時代部門、用語部門で発表します。
第1回歴史流行語大賞「人物部門」!
記念すべき第1回歴史流行語大賞の人物部門の1位は…
織田信長です!
堂々の1位です。
織田信長に関しては自分も肩書きにしてるし、しょっちゅうブログやツイートで紹介してますが、「戦国時代の新しいもの好きな多動人間」と思っておいてください。
放送席、放送席!人物部門第1位は織田信長です!
では信長さん。みなさんに一言お願いします!
是非に及ばず!(仕方ない)
ちなみに第2位はカエサルでした。
古代ローマといえばこの方というほど有名です。
巷では名言製造機とも言われているほど名言が多い人物です。
巷ではなくお前の心の中の声だな?
ではカエサルさんにも一言もらいましょう。
放送席、放送席!人物部門第2位のカエサルさん!一言お願いします!
来た、見た、勝った!
2位なので決して勝ったわけではないんですよね。
そっとしておこう…
第1回歴史流行語大賞「時代部門」!
時代部門の第1位は戦国時代でした。
30個の推薦がありそのうち9個が戦国時代なので圧倒的でした。
やっぱり戦国時代は人気ですね。
第2位は江戸時代幕末です!
吉田松陰がかなりの名言製造機でした。
他にも坂本龍馬や高杉晋作などいつもの幕末人気メンバーがいます。
戦国時代と幕末の人気が圧倒的だということを再認識しました。
3位が古代ローマ時代です。
古代ローマが人気なのは聞いたことがありましたが、ここまでとは思いませんでした。
特にカエサルがすごい!
第1回歴史流行語大賞「用語部門」!
この用語部門の1位はカエサルの「賽は投げられた」です。
カエサルが強い!
ただ、他の用語が全部1票だったため、2位以降はありません。
予想以上に幅広い用語が推薦されていました。
次回以降用語部門が必要かどうか審議してみます。
第1回歴史流行語大賞のまとめて気づいたこと!
多くの人から推薦をもらってまとめて思ったのは、意外と知らない用語が多いことでした。
知ってる用語もあるんですが、知らない用語の方が多いです。
まだまだ歴史を知らないことを痛感しました。
もう一つは戦国時代と幕末の人気がすごいということです。
集計していて戦国幕末の用語が多く、その人気を改めて実感しました。
来年はどんぐりや縄文土器とか縄文時代がノミネートできたりするくらい他の時代も面白いということを発信で伝えていきますね。
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サウナとフィンランドとオリンピックはバスロマンより濃い歴史!
どうも。温泉にいくと毎回立ちくらみするほど湯に浸かっているしょう(@shos_history)です。
それやばくね?
前回まででお風呂×歴史の話は終わったと思ったんですが、風呂マニアとしては無視できないものがありました。
それが「サウナ」です!
温泉に行ったらどこにでもあるあの暑いだけの部屋です。
健康になりそう!という願望でいつも仕方なく入ってます。…5分だけ。
いゃ想像以上に短いw
そんなサウナはにはどんなストーリーがあっていつ日本にやってきたのか見ていこうと思います。
歴史をカッコつけてストーリーに言い換えてきたw
サウナの歴史はフィンランドから始まる!
サウナとは暑い空気が漂う小部屋に入って汗を流すフィンランド式蒸し風呂のことです。
そのためサウナの始まりはフィンランドであると言われています。
ただ、蒸気で身体を温める蒸し風呂の文化自体は前回記事にした通り日本でもあったし、他の世界各地でも同様にありました。
フィンランドでは2000年以上のサウナの歴史があります。
元々は食料の貯蔵や食べ物の燻製するための小屋であり、身を清め清潔にしたり、出産する沐浴するための場所でもありました。
沐浴って言葉前回も聞いた!
沐浴とは身体を決めることで、日本でも蒸し風呂で沐浴していましたという話をしましたね。
そのあとにいつの間にかフィンランドの厳しい冬の寒さをしのぐための場所になったのです。
フィンランドではサウナが日本でいうお風呂!
フィンランドでは大昔からサウナ文化が根付いていた影響か、今では一家に1サウナが当たり前のようにあります。
一家に一台のテレビ感覚で言われても…
逆にフィンランドの家には浴槽がないようです。
つまりお風呂=サウナということでしょう。多分。
日本でも昔お風呂といえば蒸し風呂のことをさしていたので、それに近い感じがします。
フィンランドにはこんなことわざがあるようです。
「まずサウナを作れ。家はその次」
サウナ愛を感じることわざですね。
サウナ作ってから家っておかしくね?
それくらい生活に溶け込んでいるため、会社やプールなどいたるところにサウナが置いてあるようです。
会社にサウナは想像できない…
フィンランドのサウナはオリンピックから広まった!
フィンランドのサウナ文化が世界に広まる要因になったのは1936年のベルリンオリンピックです。
この時にフィンランドの選手たちが選手村にサウナを持ち込み、それを見た他の国の選手たちが自分の国に帰って取り入れて広まっていきました。
日本は少し遅れて1956年にオーストラリアで行われたメルボルンオリンピックの時にサウナに出会います。
他国の選手たちがサウナを楽しんでいるのを見つけた射撃選手が日本に帰って、自身が経営していた「東京温泉」の施設内に作ったのが日本最初のサウナです。
1964年の東京オリンピックで選手村にサウナ施設を設置すると、話題になり全国的にブームとなりました。
オリンピックがサウナを広めました!
オリンピックすげぇ…
サウナとフィンランドとオリンピックの歴史が濃い!
フィンランドで始まったサウナ文化がオリンピックによって世界中に広まり、日本にもやってきました。
日本で独自の発展を遂げたお風呂と外国からやってきたサウナが融合したものが今僕らが体験している温泉の姿と考えたら、かなり深いですね。
江戸時代の人たちとフィンランドの人たちに感謝を込めて次からサウナに6分は入ろう!
結局少ない…
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江戸時代のお風呂事情を調べていて僕が驚いたことベスト3!
どうもしょう(@shos_history)です。
珍しく挨拶がシンプルやな。
風呂ネタがここまで続くとは思わなくて…なんも思いつかなかった…
全部で3回も記事を書いてきて、その分色々調べたんですけど…
驚くことがいっぱいだった!
まさにこれなんですよね。
ペリーも驚いたかもしれませんが、僕も驚きました。
それくらい今じゃ考えられないことや今と違うことがあったのです。
今回は僕が調べてて驚いた江戸時代のお風呂事情をベスト3を紹介します!
江戸時代のお風呂事情で僕が驚いたこと第3位!「休憩スペース」
銭湯とか温泉とかいくと休憩スペースがありますよね?
世間話をしたり、ゆっくり座ってくつろいだり、囲碁や将棋をしたりするようなスペースです。
これって実は江戸時代の銭湯の名残なんです。
江戸時代は銭湯に庶民から武士まで身分関係なく訪れていました。
武士は常に刀を持っていますよね?
刀なんて風呂に持ち込まれたら危ないし錆びるし、そもそも邪魔ですよね?
その武士の刀を預かるスペースが銭湯の2階に設けられていました。
でも頭がいい商売上手の人が考えたんです。
「せっかくのスペースで金儲けできるぞ?」
そして刀を預かるスペースだけではなく、人がくつろげるような休憩スペースにしました。
休憩スペースは利用するのにお金がかかりますが、囲碁や将棋をうってくつろげたり、情報交換ができるのでコミュニケーションの場になったのです。
もちろん、食べ物も販売していたみたいです。
今も結構2階に休憩スペースがあることが多いし、それも名残なのかも!
風呂と江戸時代がだいぶ繋がってるな!
江戸時代のお風呂事情で僕が驚いたこと第2位!「石鹸」
今やボディーソープやシャンプーやもちろん石鹸まで、身体を洗うアイテムはしっかりありますよね?
シャンプーはもちろんないので代わりにうどん粉でした。
うどん粉ってさらっと言うな…
石鹸は高級品なので手に入らなかったのです。
じゃあ何を使ってたのか。
実は「米ぬか」を石鹸代わりに使っていたのです!
米ぬかって米を食べられるように周りの茶色い部分を取り除いた時に出る茶色いやつです。
私たちの身近なぬかといえばお新香に使われるぬかくらいですよね。
まさにあの茶色いやつです!
ぬかが石鹸代わりになるの?
意外と汚れ落とせるし、肌をしっとりさせたらしい…
今でも米ぬか石鹸なんてものがあるくらいなので実際に効果があるんでしょう。
江戸時代のお風呂事情で僕が驚いたこと第1位!「銭湯の構造」
2位も3位もすでに驚きですが、一番驚いたものがありました。
これは江戸時代の銭湯の絵の一つです。
一番左が銭湯の受付、隣がロッカーのようなものです。
さらに右は洗い場です。
気付きましたか?
全部入り口から丸見えなんです!
これはビックリ仰天ニュースです。
昔は部屋の構造を見せるために壁を全部取っ払ったように絵を描くことがありますが、これもそうなのかもしれません。
ただ、明らかにロッカーの方でも身体を洗っているので本当に全部丸見えの構造なのかもしれません。
混浴も普通の時代ですし、江戸時代の人はこういうオープンスタイルなのかもしれませんね。
冬場絶対寒いでしょ…
江戸時代のお風呂事情は誰でも驚く!
ペリーが驚いた混浴も確かに驚きますが、他のお風呂事情も驚きます。
今と180度違いますから。
江戸時代が終わってから150年しか経ってないのに世の中がほとんど変わっているところに時代の変化の早さを痛感しました。
このスピードだとあと150年後には「スマホ?何それ化石?」とか言われてそうですね。
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お風呂の歴史が湯船よりだいぶ奥深くて熱かったから大雑把に解説する!
どうも、先日も温泉に行ってきたしょう(@shos_history)です。
お風呂好きやな〜!
前回は風呂場では髪を洗うの禁止だったというまさかの話をしました。
気になった方はチェックです!
そもそも今のお風呂のようなスタイルになるまでどんな歴史があったのか気になったので今回はお風呂の歴史について話します!
風呂の歴史という最初に話すような内容を最後に持ってくる男…
美味しいものは最後まで取っておくタイプです!
お風呂の始まりはとてつもなく古い!
お風呂の歴史は紀元前4000年の古代メソポタミア文明(世界最古の文明)の頃の沐浴のための浴室が作られていたのが確認されているものでは最初とされています。
約6000年くらい前ですね。
神社とかに行くと手をゆすぐイベントがありますが、あれも沐浴の一種です!
どこから湧いた水かわからないのに誰も気にせず手を洗って口をゆすぐあれか!
4000年ほど前には薪を使って温めた温水の浴室ができたそうです。
2200年前くらいの古代ローマ時代になるとテルマエという公衆浴場ができました。
僕テルマエロマエ見たことないのでこの機会に近いうち見ます!
そんな感じでヨーロッパではお風呂文化が浸透しつつあったけど、キリスト教も浸透してきて徐々に廃れていきました。
人が密集する風呂場が中世に流行したペストやコレラの温床となる可能性もあったため浴場が閉鎖されていったとも言われています。
いゃ、むしろ風呂に入れ!
中世ヨーロッパのうんことペストとかの流行についてはこちらをチェックです!
日本でのお風呂の歴史は仏教伝来から!
日本では昔から滝行(滝にあたりながら手を合わせるやつ)など禊の慣習はありました。
お風呂っぽいのが始まるのは6世紀に仏教が伝来伝来からです。
仏教では汚れを落とすことが仏に仕えるものの大切な仕事であること、沐浴すると色んな病気を除けて逆に色んな福が来ると言われていました。
寺院に参拝に行くと風呂場みたいな場所があり、おまけでお風呂に入れたそうです。
おまけっていうな!
当時の風呂は蒸し風呂といって蒸気で身体を温める風呂でした。
蒸気が出ないバージョンが今のサウナです。
時代を経ていくうちにだんだんと宗教イメージがなくなっていきました。
日本最初の銭湯は安土桃山時代!
日本最初の銭湯は1591年に登場します。
時代的には豊臣秀吉が日本最強になった頃。
そして徳川家康が豊臣秀吉に「関東に引っ越ししてくれない?」と言われ、引っ越して江戸に入居したばかりの頃。
江戸城内にあった銭瓶橋という橋の近くで伊勢与一が蒸し風呂スタイルのお風呂屋を開いたのが銭湯の始まりでした。
安くてさっぱりできることから銭湯が大繁盛し江戸時代を通して広まっていきました。
時代の表現方法が暗すぎる…
登場したはいいものの、家で浸かるのは水や薪といった経済的厳しさや家が燃えやすいという危険性からも銭湯を利用する人がほとんどでした。
途中で下半身はお湯に浸かり上半身は蒸気を浴びる戸棚風呂という風呂が登場します。
戸棚によって湯気が出ていくのを防いでいたことから戸棚風呂と言われていました。
戸棚を閉めないやつが増えたり開閉激しくて湯気がすぐに出ていくので、戸をくぐらせるタイプに変わりました。
もちろん前回も言った通り、水が貴重で薪も高価だったので男女混浴の銭湯が江戸時代まで続きます。
木造だった洗い場や浴槽が時代とともに変わっていき今のような風呂になったのは昭和以降でした。
お風呂の歴史が湯船よりだいぶ深くて熱かった!
お風呂の歴史を調べていたら予想以上に深くて、しかも熱くてびっくりです。
日本人が昔から綺麗好きだったからこそ廃れることなく広まっていったのかもしれませんね。
twitterやってます。わかりやすく面白く日々歴史を発信しているのでぜひフォローしてみてください。いつの間にか歴史にハマっていますよ!
江戸時代はお風呂で髪を洗うのは禁止だし一苦労だった話!
どうも、風呂好き系男子のしょう(@shos_history)です。
前まで紅茶好きとかいってたのに今度は風呂か。
前回ペリーが驚いた江戸時代のお風呂事情について話しました。
あくまでペリーが驚いたお風呂について話しただけで、まだまだお風呂の話があります。
江戸時代はお風呂で髪を洗うの禁止だったの知ってましたか?
えええええ?じゃあ髪の毛どうするの?
という反応があると思うので、今回はそんなお風呂で髪を洗ってはいけない理由と、どうしてたのかについて話します!
とても寒いこの季節ですがこの記事を読んで少しでもお風呂に入った気分になってください。
いゃ無理でしょ…
江戸時代のお風呂で髪を洗うのは禁止!
正確には銭湯(湯屋)で洗うのが江戸時代は禁止されていました。
それは水が貴重だからです!
出た!水が貴重の話!
前回も話しましたが江戸時代はとにかく水が貴重だったため、混浴にしたり、節水のためお湯を使い回したりしていました。
髪の毛を洗うのが禁止されていたのは、髪を洗うのが一番水を使うからです!
特に女性が顕著だと思います。
今でも長い髪を洗う場合、大量の水を使いますよね?
男性も同じです。
女性よりは水を使わないですが、大量に使うことに変わりはありません。
じゃあ、どうしたか。
女性は月に1~2度洗っていたといいます。
それも井戸の近くや家とかで樽に水を入れて洗っていました。
いゃ、頻度少なっ!
水がそもそも貴重だし、髪の毛を整えるのに相当ハードな整髪料を使ってたみたいで時間が膨大にかかったみたいです。
しかも、ドライヤーなんてないので太陽の光による自然乾燥です。
つまり髪を洗うのに天気を考慮しないといけないのです!
色々めんどくさすぎるwww
だから1〜2度くらいなのです。もちろん夏場は少し頻度が増えます!
男性は数日に1回は洗っていたといいます。
さらに男性の場合は髪結床という今でいう床屋で髪を整えていました。
どっちにしても今のように毎日は洗ってないようです!
髪を洗うのに使ったシャンプーとは?
この時代シャンプーあったっけ?となりますが、もちろんありません。
じゃあ何を使っていたか。
ふのりとうどん粉です!
はぁ???
江戸時代は海藻の一種である「ふのり」とうどんを作るための「うどん粉」を使ってシャンプーとして使っていたのです。
ヤバすぎるwww
意外と髪がツヤツヤになるらしいですよ!
江戸時代と今では髪を洗うだけでも全然違う!
今は普通に髪を洗ってますが、よく考えたら水が貴重でドライヤーもシャンプーもない時代の洗髪が大変なのは当たり前でした。
江戸時代の歴史を知ると、今の便利さがとてつもなく実感できますね。
今度、ふのりとうどん粉で髪を洗ってみようかな?
絶対に頭臭くなる…
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あのペリーも驚いた!江戸時代のお風呂事情とは?
どうも、お風呂大好き人間のしょう(@shos_history)です。
お風呂も好きですが、なんといっても風呂上がりに飲む牛乳やコーヒー牛乳が格別です。
巣鴨にある東京染井温泉の「SAKURA」は月1以上は行っています。笑
巣鴨の歴史観光が気になった方はこちらをチェックです!
風呂といえば誰もが毎日のように入る身近なものの一つですが、江戸時代にやってきたあのペリーも驚いたことがあるみたいです。
お風呂で驚くことってなんだろうということで今回はそんな江戸時代のお風呂事情が今と全然違うことを紹介します!
江戸時代のお風呂はみんなで銭湯へ!
江戸時代はだいたいみんな銭湯に行ってました。
なんで?なんで?
今から説明します!
江戸時代は今みたいにガスとか電気でお湯を沸かすのではなく、火でお湯を沸かします。
江戸時代の家の構造覚えてます?
確か…木造で家の間がキツキツ!
その通りです!よく覚えてましたね!
江戸時代の家は木と紙でできおり、出火したら最後で、隣に燃え移り、街全体を灰にするほど火に弱かったので火事が多発していたのです。
江戸時代の火事について気になった方はこちらの記事をチェックです!
出火したら最後レベルの家で火を焚いてお風呂沸かせます?
無理無理無理無理無理!
もはや自殺行為ですよね。
紙の上でマッチに火をつけるようなものです。
それだったら、自分の家で風呂に入るより銭湯に行った方がよくないですか?
確かにすぎる!!
だからほとんどの人は銭湯に行きました。
それも武士も商人も身分関係なくです。
ペリーも驚いた!江戸時代のお風呂は混浴!
江戸時代はほとんどの人が銭湯に行くのですが、その理由は家が燃えやすいというリスク問題だけではありません。
水も薪も貴重だからです。
お金がかかるという面でも銭湯に行った方がコスパがいいのです。
そんな銭湯ですが、実は今のように男湯と女湯で分かれておらず、基本的に混浴でした。
なんでかって?
水が貴重だからです!
さっきも説明した通り水が貴重なので、男湯と女湯で分けると水の量は単純計算して2倍必要になります。
だから混浴にしていたのです。
水が貴重すぎて、節水のためお湯は繰り返し使われていたと言われています。
き、汚い…
江戸のリサイクル文化を象徴してますね…
幕末、日本にやってきたペリーも日本の混浴文化を目の当たりにして「日本人は道徳心が優れてるのにこの状況を見ると道徳心を疑う!」的なことを自身の日記に書いたといいます。
要するに日本人意外とヤバくね?ってことです!
「oh my god!」とか言ってそう…
度々、幕府(当時のトップ政府)は混浴を禁止しましたが、あまり効果がありませんでした。
結局、混浴文化は江戸時代の終わりまで続きます。
江戸時代のお風呂事情が今と全然違う!
江戸時代と今では水道といい技術といい違う部分が多いため、お風呂事情が全然違いました。
今は当たり前のように使う水も、当時の人にとってはものすごく大事なものだったんですね。
しかも今や男湯・女湯と別々が当たり前なのに、つい150年前までは混浴が当たり前だったのも驚きです。
もう全然今と違いますね!
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歴史好きが超絶分かりやすく教える!鎖国とかいって引きこもる日本!
どうも、我が家でペリーをしている現代の信長ことしょう(@shos_history)です。
ペリーと信長二人いてわかりづらい…
これから少しずつ幕末編に入っていきます!
幕末といえばみんな大好き「高杉晋作」や「土方歳三」や「西郷隆盛」など色んな人が登場する戦国時代に匹敵する大人気の時代です!
幕末を語る前に話さないといけないのが
鎖国です!
鎖国とはそもそもなんなのかについて今回は自己流に噛み砕いて話します!
日本は鎖国 して引きこもってた!
江戸幕府は「日本という家には認めた人しか呼ばないよ!」と言っていました。
しかも認めた人もどこでも交流できるわけではなく、日本が指定した窓口で交流しましょうというものでした。
認められた人はオランダさん、中国さん、朝鮮さん、琉球(沖縄)さん、アイヌ(北海道)さんでした。
彼らに共通するのは
「キリスト教」を持ってこないということ!
当時の日本はキリスト教を持ってきて布教されると幕府の思い通りの支配ができなくなってしまう恐れがあるのでキリスト教は禁止でした。
オランダもキリスト教持ってきそうじゃない?
確かにその通りです。
でもオランダは幕府に「キリスト教なんて持ってこないよ!貿易したいだけ!」と温かい眼差しを送ることで交流できたのでした。
こうして日本は認めた人以外とは交流せずに家の中に引きこもりました。
いわゆる鎖国の完成です。
実際には鎖国と言っておきながらこのようにオランダとか中国とか少しは交流しています。
しかも鎖国という言葉自体は江戸時代の後半(1801年とか)に生まれた言葉だったのです。
【チェックポイント!】
✅江戸幕府は認めた人しか呼ばない引きこもり!
✅認められた人も指定の窓口へ!
✅幕府に認められた人は、オランダさん、中国さん、朝鮮さん、琉球さん、アイヌさん!
✅キリスト教持ってこない人が幕府に認められた!
✅オランダは温かい目で交流を許可された!
✅鎖国と言いながらだいぶ交流してる!
✅鎖国という言葉は江戸時代の後半に生まれた言葉!
鎖国して引きこもっている間の日本と海外事情!
こうして鎖国とかいって引きこもり状態が続いた日本では外国文化をほとんど受けない独自の文化が浸透していました。
家から出ないということは家でできることを探すしかなくて、その結果独自の文化が発展するのです。
そりゃあ家から出ないからね…
天ぷらとかうなぎの蒲焼きとか食べ物系がその一例ですね!
と・こ・ろが!
扉を閉めて家に引きこもっていた間、外の世界では独立戦争やら産業革命やらでヨーロッパやアメリカがめちゃくちゃレベルアップしていたのです。
10年ぶりに家を出てみたらなんかスマホが普及してる現象と同じです。
それもはや日暮だろ…
※こち亀ネタなので知らない方はスルーでお願いします。
鎖国によって日本は世界と隔離されたので独自の文化は発達したけど、代わりに近代化が遅れたのでした。
しかし江戸幕府はそのレベルアップの話をおそらく知っていたと思われます。
それはオランダ
オランダ風説書は海外情報がまとめられた新聞で、日本に来るたびにその新聞を提出するように幕府は要求していたのでした。
引きこもってても読売新聞は受け取ってたパターンです。
鎖国していた幕府にとっては貴重な情報源になっていました。
日本の横でアヘン戦争という中国vs外国の戦いがあったという話やペリーが来航するよ!という予告情報も幕府はこの新聞で知ってたのです!
【チェックポイント!】
✅引きこもっていたため日本独自の文化が発達!
✅引きこもっていたため産業革命とかでレベルアップした海外に遅れをとる!
✅幕府は海外情報がわかる新聞をオランダから貰っていた!
✅ペリーが来航するのも知っていた!
鎖国といいつつ鎖国してない日本!
鎖国とかいいつつも特定の人と交流していたり、情報欲しさに新聞をとる日本は鎖国といいつつ鎖国してませんでした。
「引きこもりらしさ」はありますが、「鎖」ではないですね。
この鎖国は日本独自の文化を発展させた一方、近代化というレベルアップに遅れたというメリットもデメリットもありました。
もし鎖国しなければ間違いなく歴史は大きく変わっていますし、天ぷらやうなぎの蒲焼や寿司といった今は馴染みのものもなかったかもしれませんよ!
そして日本人が真面目になった理由もこの鎖国が原因だったかもしれませんという話もしているのでぜひこちらの記事もチェックです!
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