【忠臣蔵から学ぶ】ニートでも一歩踏み出すと歴史を作れる可能性がある!
どうも実家暮らしのニートッティことしょう(@shos_history)です。
早く一人暮らししろ!
バイトとたまにライターの仕事を受ける以外ほぼニート状態の僕もただ家でボーッとしているだけじゃないんです!
いろんなことに日々挑戦してちゃんと動いてるんです!
嘘つけ!ゴロゴロしながらゲームしてるだけだろ!
ふふ。半分正解、半分不正解。
僕がやっていたゲームはテトリス!
ただゴロゴロ遊んでいるのではなく、パズルで頭を鍛えているのさ!ドヤ
ほぼニートが何ちょっとカッコつけてんの?
このままいくとテトリスについて語り出してしまうので話を戻しましょう。
なんで日々挑戦して動いているのか。
それは…
就職するため?
いいえ違います。
それは…
一歩踏み出すことは歴史を作る力を持ってるからです!
ニートであれ、プー太郎であれ、なんであれ。
一歩踏み出せば歴史を作れるんです。
そんなわけないだろ!ニートは一歩踏み出したら就職だ!
ということで今回は、一歩踏み出すと歴史を作れることを証明するため、忠臣蔵を例にニートが歴史を作ったエピソードを紹介します!
なかなか一歩を踏み出せない方は必見です!
そもそも忠臣蔵とは?
「忠臣蔵」ということば。誰もが一度は聞いたことありません?
年末とか正月シーズンによくテレビでやってる時代劇の名前が「忠臣蔵」ですね。
忠臣蔵というのは歌舞伎の演目の一つで、実際に江戸時代にあった事件が元になっています。
それが赤穂事件!
図解にするとこんな感じ!
この図解を見せたのでもう終わりと行きたいところですが、せっかくなのでさらに噛み砕いて解説します!
江戸城にある
この件は殺人未遂に終わりましたが、幕府にとっては大事な公の場での抜刀、被害者は無抵抗などの判断材料から…
容疑者の
被害者の吉良上野介はお咎めなし。
という結果になりました。
これは今の常識ならまぁ普通の処遇ですが、江戸時代には喧嘩両成敗という考えがありました。
要するに「喧嘩したらどっちも悪いのでどっちも処分!」ということです。
そんな当時のルールが適用されず、自分のボスだけ処分され、相手はピンピンしている様子に浅野の部下たちは「なんでだコラ!!」という風にイライラします。
容疑者側はただ切腹だけじゃなく、浅野の家まで取り潰しです。
家が取り潰されるというのはつまり会社が倒産したのも同然。
その会社で勤務していた多くの部下が突然職を失い、実質ニートになります!
今でもよくみるニートの流れだな。
ニートの中の元気な奴らが
結果的に敵討ちは成功したものの、該当メンバーは切腹。
この吉良を倒すまでの一連の出来事を赤穂事件、吉良討伐に行った47人を赤穂浪士と言います。
この事件は人々に熱く語られ、『忠臣蔵』という演目もでき歌舞伎で披露されたのでした。
ちなみに途中でビビったのか、緊張のあまりお腹壊したのか、一人だけ途中でフェードアウト(消える)しています。
なので47人というよりは46人が正しく、切腹もその一人だけしていません!
元祖チキン野郎かな?
忠臣蔵から学ぶ!ニートでも一歩踏み出すと歴史を作れる!
忠臣蔵のフィナーレともいうべき吉良の家へ襲撃をした赤穂浪士。
その赤穂浪士の中には浅野家という会社が倒産してニートになってしまった人の他に、そもそもずっとニートだった人たちもいました。
部屋住みの方々です!
部屋住み…なぜかなんとなく想像できる…
部屋住みとは、家督を継いでいない長男や次男以下の親や兄の部屋に居候している者のことを言います。
どっちにしろニートということですね。
そんなニート集団である赤穂浪士が敵討ちを成功させ、庶民の記憶に残り、歴史を作ったのは紛れもない事実なのです。
赤穂浪士って知ってますよね?
忠臣蔵って知ってますよね?
ニートが歴史を作ったんです!
ニートでも歴史を作れて、名前を残せたんです!
彼らは一歩踏み出していなかったら間違いなく歴史に残らず、誰にも知られず普通に死んでいったことでしょう。
ニートだろうが一歩踏み出すと歴史を作れると赤穂浪士たちが教えてくれていますね!
赤穂浪士の存在が説得力を高めてる…
【おかゆな豆知識】
同じ部屋住みのニート仲間では幕末に登場して桜田門外の変で暗殺された大老の井伊直弼が有名!
井伊直弼はニート歴15年から彦根藩の社長、最終的には江戸幕府の最高幹部の大老まで上り詰めている!
【おまけ】港区にある赤穂浪士が眠る寺「泉岳寺」!
最後にせっかくなので赤穂浪士にゆかりのお寺を紹介します。
港区で歴史観光をしたいと思っている方はこちらの記事もどうぞ!
港区には忠臣蔵でお馴染みの赤穂浪士たちが眠っているお寺があります。
泉岳寺です!
1612年に徳川家康が創設した寺院で、一旦1641年に焼失します。
現在の場所に移転して来て、その時に毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷という5大名(覚えなくていいです)によって出来上がりました。
完成に尽力した5大名のなかの浅野は、吉良に切りかかって殺人未遂容疑で切腹させられたあの浅野家です。
浅野家と泉岳寺の付き合いがここから始まりました。
泉岳寺の境内に入るには中門と山門という二つの門を通ります。昔は総門っていう門もあって三段構えだったようです。
二つの門を通る感じが空港でいうところの保安検査と出国検査みたいですね。
絶妙に分からない例えすんな!
まずは中門。これが泉岳寺の入り口にして目印になります。
中門を進むと奥に見えるのが、山門です。
山門の横には吉良邸討ち入りのリーダー「大石内蔵助」の像が堂々と立っています。
境内には首洗い井戸という井戸があります。
この井戸で討ち取った吉良の首を洗い、主君浅野の墓前に供えたと言われており、それでこの名前がついています。
境内の奥には赤穂浪士や浅野夫妻のお墓があります。
屋根がついた見るからに一番立派なお墓が我らがニートのリーダー大石内蔵助のお墓です。
お前と一緒にすんな!
こちらが赤穂事件の発端になった浅野のお墓です。
その横には夫人のお墓もあり、赤穂浪士も浅野夫妻も一緒の敷地にいます。
みんな一緒の場所で眠っているのがなんか良いですね。
泉岳寺には赤穂義士記念館と義士土像館があり、赤穂浪士ゆかりの貴重な遺品や木像が見られます。
義士土像館では僕が散々言っていたニートの証拠「部屋住み(居候)/無録(無給)」がしっかり見られます。
この記事を読んで赤穂浪士をさらに知りたいと思った方はぜひ泉岳寺へ!
一歩踏み出す勇気やヒントが見つかるかもしれませんよ!
【泉岳寺ホームページ】
【泉岳寺へのホームページ】
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