東京最後のサンクス吉原店に行ったら歴史がすごかった話!
どうも、元コンビニ店員のしょう(@shos_history)です。
なんかのニュース記事で知ったのですが、「11月20日で東京都内にある最後のサンクスが閉店する」と言う情報を知りました。
今回は「最後」系にめっきり弱い男がサンクスに行ってそのまま歴史観光をした話です!
東京最後のサンクス吉原店!
サンクスといえば僕がまだ吉法師だった頃(小学生〜中学生の頃)はたくさんありましたが、よくよく考えたら今は全然見ないですね。
※吉法師とは…
織田信長の小さい頃の名前。意外と可愛い名前。
昔の人は名前がコロコロ変わっていた。
この説明いる?
最近サンクスをあまり見ないのは次々とファミリーマートになっていたからでした。
そして知らないうちに東京都内の生き残りは1店舗となっていました。
「最後の生き残り」と言う用語から漂う歴史臭…
それは変態すぎる…
最後のサンクスは見届けないといけない!と思い、片道330円かけてサンクスに行きました。
三ノ輪駅で降りて歩くこと数分。
やってきました。
サンクス吉原店です!
サンクス最後ならサンクスらしい商品探そうと思ったのですが、無かったので…
とろけるカフェオレを買いました。
あれ前まで散々紅茶好きとか言ってたやつどうした?
午後の紅茶しかなくて…
紅茶に関してはこちらの記事をチェックです!
地図アプリを開きながらたどり着いたサンクスで場所も「吉原」となっていたので薄々気づいていたのですが
キャッチの数がやばい…
※キャッチとは…
居酒屋とか怪しいお店に案内してくれるお兄さんたちのこと。キャッチに案内されて入る居酒屋はぼったくりが多いので注意が必要。
そこら中に18禁コーナーがありました。
それもそのはず、この吉原は江戸時代に遊郭として栄えた場所だったのです!
江戸時代の面影が残る場所「吉原」!
江戸時代の江戸は参勤交代や出稼ぎによって男性の人口が多く、需要の関係で飲食店のようなものと同時に遊郭も出現しました。
参勤交代についてはこちらをどうぞ!
吉原とは江戸幕府(江戸時代の政府)公認の一箇所に全部まとめた遊郭(18禁コーナー)です。
元々は1617年に日本橋あたりに置かれた遊郭で、そこはヨシという草が生い茂っていた場所を埋め立てて作ったため「ヨシ原」と呼ばれました。
1626年には縁起の良い文字に変えて吉原となりましたが、明暦の大火によって移転することになり、今の台東区の場所に移ってきました。
明暦の大火について気になった方はこちらをチェックです!
そのためいろんなところにその歴史の跡が見えます。
こちらは吉原の入り口へ行く道「五十間道」です。
どこが吉原の入り口?と思うかもしれませんが、わざと見えないようにS字の道に設計されてます。
なんで見えないように設計しているのか。
18禁コーナーだからです!
どこの18禁コーナーも見えない工夫されてますよね?
確かにカーテンみたいなのある…
江戸幕府も公認にしたけど、さすがに大っぴらにするのはダメだと思い、S字の道にして、わざと見えないようにしたのです。
つまり、江戸時代から姿がほとんど変わってない道なのです。
S字の道を歩き切ると突然姿が現れます。
吉原大門跡です。
くぐった瞬間、18禁コーナーが急にたくさん出現します。
ここが江戸時代の吉原の唯一の出入り口でした。
なぜ唯一なのか。
それは18禁コーナーの女性が逃亡するのを防ぐためでした。
ここに入ったら女性は死ぬまで外には出られないと言われるほどの場所だったと言われています。
厳重な警備体制の面影はこの「お歯黒どぶ」という石垣の跡からも伺えます。
この石垣が吉原の周りを覆って、先ほどの唯一の門で完全に隔離していたのです。
こう考えると一種の刑務所のように思えて悲しい歴史に感じられます。
夜遅くなる前に急いで帰りました。
吉原は歴史が生きる町!
最初は東京最後のサンクスに行くことが目的でしたが、調べているうちに歴史がたくさんあることを知り、いつの間にか歴史観光が目的になってました。
いろんな歴史の跡があったんですけど、一番伝わったことがあります。
「歴史がまだ生きてる!(いろんな意味で)」
実は吉原の地図は昔とほぼ変わっていないようです。
それを知ったので家に帰ってからサンクス吉原店の位置を確認したら
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江戸時代の吉原の敷地のど真ん中でした。
つまりサンクスは18禁コーナー…
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